私が可愛げのない子供だったのはなぜなのか

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はじめに

先日、実家に帰って母と話をしていました。

その時話題に上がったのは、あなたは小さいころ子供っぽく笑わない赤ちゃんだったという話。

この話題は不定期であがるたびに慣れない子育てがいかに大変だったかというグチにスライドするもので、正直聞いている身としては「どうしろと」半分、「なんか悪かったわね」半分というあまりいい気持のするものではないのですが、このブログを書いているとなんとなくその理由が見えてくるような気がするのです。

今回は、私の幼少期の「かわいくなかった」面について語っていきたいと思います。

笑わなかった・いつも怒っていた

第一に、笑顔が可愛くなかったらしいです。

コンプラ的に赤ん坊に言っていい言葉ではない気がしますねwwww

高い高いしたりあやしたりしてみて、反応が無い訳ではなかったらしいのですが、無邪気な感じがなかったとのことでした。食べ物も、手でいじるだけでろくすっぽ食べなかったとのこと。

悪いことに(?)妹は何をしても笑う、何でも食べる、というイージースマイリーベイビーだったのでその点も込みで負の比較をされます。

そしてよくぐずる。その泣き方も「何かに怒っているような泣き方だった」とのことでした。

当然私にその記憶はありませんが、怒っていたという節は何回も何回も聞いたので、母からしても相当印象深かったようです。父親がいかに非協力的だったのかも透けて見えますね・・・

ここまで来て気になるのは「何が不機嫌だったのか、じゃあどうすればよかったのか」ということ。

自分を知るためにWAIS-Ⅳまで受けた身として、私が知っておきたいところです。

社会人になった今の私たち親子の総括としては、「もともと食が細かった」「子ども扱いされるのが赤ん坊ながらに嫌だった」がFAなんじゃないか、と相なりました。以下に詳細を書いていきます。

どうすればよかったのか~食が細かった編~

食に関して言うと、私が一人暮らしを始めてから知った自身の傾向が理由になっています。私は

①栄養補給だと思ってガツガツ食べる時

②美味しいものを味わう時

③何も喉を通らない時

が結構パックリ別れるのですが、寝起きだったり夏場だと大体③です。

実家にいた時すら、朝ごはんがパン=のど越しが悪く漠然と嫌、という感覚があった身です。

最近は朝ごはんはバナナか納豆ご飯か冷凍うどん(もしくはなし)という3択に、スムーザーを買ったことで「バナナスムージー」という選択肢もできましたが、見てのとおりとにかくのど越しが命なんです。

朝じゃなくても汁物大好きです。好きな果物は梨とスイカと桃です。

大人になってこれなのだから、自分で食べるものを選べない赤ん坊のころの食事なんて楽しいものではなかったのは容易に想像がつきますねw 捨てられた食材に対してだけは罪悪感ですが…

以上、特に頭の凹凸という話題ではありませんでしたが、まずは食が大きなストレスになっていたという話でした。こういう好みはずっと変わらないんだろうと思いますねー。このブログを書いている時点では、そんな食が細いタイミングでいかに糖分を摂取するか、ということに思いを巡らせていたりします。

どうすればよかったのか~そもそも子供として扱われるのが不満編~

さて、ここからがこのブログでの主張のように思います。

赤ん坊の時に不機嫌だった理由で、食事以外の要因。

それは、赤ん坊として扱われていたからなのではないかーーーというものです。

非常に理不尽なことを言っている自覚はあります。赤ん坊は赤ん坊として扱うものです。

しかし、私は記憶のあるころから常に子供ではなく一人の人として扱ってほしいと願って生きてきたものです。

店員さんに対して「トイレどこ?」ではなくお手洗いはどちらですかと聞くことにしていた。

パパとママと来たの?という素朴な質問にそこはかとなくムカッカチン。

「よくできたね~^^」といった大人の褒め言葉に感じる見下されている感。

書いている自分ですら、か、可愛くね~~~~と思わずにはいられません。

しかし、受験の土俵に上がる前の私は常にこの手のフラストレーションとともに過ごしてきたのです。

ここまでくるともう、子供であることそのものに生きづらさを感じていた。よって、赤ん坊でいる時はそれだけでストレスだった。と結論付けるのがいいんじゃないか、となったのです。

ちなみに母親からは「総じて無邪気じゃなかった」というこれまたあんまりな評ももらっていたのですが、これに関しては目を輝かす瞬間と言えば「何かを知ろうとする時」、つまり知的好奇心が表に出ていた時でもあるので・・・大人から見た子供ってこういうの好きなんでしょというタイミングでは確かになかった気がします。(知的好奇心に関してはこちらの記事も参照)

コンビニに並ぶお菓子など見てはどうせこういう層に刺さるようにマーケティング戦略練られて作ったんだろうなー。ターゲット層ではあるけど買うの癪だわーといったことを考える大人に育ったことを考えると、やっぱり三つ子の魂百までというのはその通りだなぁ、とつくづく思います。

あ、諺とか慣用句には素直なんです。今まで言い回しとして残ってきたからには相応の説得力があるんだろうと思うからです。

おわりに

以上、私の幼少期のかわいくなかった列伝でした。

書いていてあまりの子供としての適性の無さに悲しくなった時もありましたが、とりあえず書き終わりました。

かつての自分の可愛くなさへの供養、そして少しでも子供可愛くな…と思った親御さん、絶賛現在進行形で自分の可愛げの無さにがっかりしているような誰かに今回の文章が届けばいいなと思います。

では、今回はここまで。お読みいただきありがとうございました!

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