女の子ギフテッドについて思うこと

ギフテッド

はじめに

今回のテーマは女の子のギフテッドについて。

一般的に語られる発達障害やギフテッドの特徴というのは往々にして男性のそれ、ということをよく聞きます。例えばそもそも数が男子・男性の方が多いとされていたり、多動・衝動性といった出方、周囲との波風の立ち方、いわゆるコミュニケーションの困難さといった、一般的なイメージのことを指します。

男子の方が分かりやすいなというのは私自身、年少会員に限らずMENSA会員、凸凹っ子本人や親御さんと接する中で大いに思うところです。わかりやすいというか、発達障害の診断が下っていたり2E・ギフテッドという概念で語られる機会の絶対数が多いのは男子です。

当事者が本を出版したりブログを書く発信が男女問わず増えてきた今日では、その実態は以前よりかは知られることとなったと思います。しかし、女の子に関してはやはりまだ解像度が低いのではないかな、と個人的にはおもいます。

決して数は多くありませんが、私は直接女の子ギフテッドと話す機会を通じ感じた印象について書いていきます。もちろん個々人違いはあれど、女の子・女性として似通った傾向は確かにある、そしてそれは大人のそれとも男性陣のそれとも違うのではないか、と思ったのです。

分かりやすく「さとい」

突然ですが、「さとい」という形容詞の意味を調べると、次のように出てきます。

さと・い【×聡い/▽敏い】 の解説
[形][文]さと・し[ク]
1 理解・判断が的確で早い。賢い。「この子は―・い」

2 感覚が鋭い。敏感だ。「耳が―・い」「利に―・い」

デジタル大辞典(小学館)

私は「さとい」は「聡い」しか書き方を知らなかったのですが、「敏い」とも読むんですね。

ともかく、高IQのギフテッド/凸凹要素を持つ彼女たちにはどちらの漢字であってもこの「さとい」という表現がぴったりな気がします。年齢層は小学校中学年~中高生想定です。

その場にふさわしい自分であろうとする力が強く、それでいて感受性の強い彼女たち。聡明で敏感

男の子は一般的に「傾向」が分かりやすいとされますが、特に女の子で言語凸要素があったりすると、仮に他の要素が凹だったとしても往々にしてこの「さとい」感じが分かりやすく表出しているように思います。

受け答えもしっかりしていて、ちゃんとしている。第一印象は人懐っこいというよりは、礼儀正しい印象です。

そして、自己紹介などを通じて話しても大丈夫な人とみなした人に対し、彼女たちは自身の興味関心ごとや普段考えていることを流れるようにかつ雄弁に話してくれます。認定されなければ、多分礼儀正しくて終わりだと思います。そこには特に困り感なども無いように見受けられます。

基本彼女たちは早口なのですが、それが彼女らにとって自然な早さなのだというテンポ感を伴って言葉が伝わってくる。その時の感覚はまさにのびのびしていて、色彩豊かなものを見せてもらっているのだなと感じさせられます。会話が一方的かどうかはその子によるなという印象です。

なお、口調が早口なのとWISCの処理速度の高低はあまり連動しないのかな?と個人的には思っています。彼女たちの中に処理は凹になっていると話していた子もいて、成人で同様の事を言う人もいた記憶があるからです。

言葉で伝える情報量が多いというのは言語処理や知覚推理が担う部分で、その箇所の頭が回っていれば言葉は早くなるのかな、と思っています。

彼女たちは「警戒心が強い」のか?

そして、彼女たちは親御さんから「警戒心が強い」「心を開くとよく喋る」といった説明を受けることもあります。

個人的には、これ、後天的なものなのではないかなと踏んでます。

はじめっから自分全開で行くことはある程度リスクであることを十分に把握した上で、このオトナは喋れる相手だろうか、と嗅ぎ分けているのではないか、と思うのです。

これは同年代の男の子にはあまり見受けられないな、と思います。

男性陣は良くも悪くも「アイツああいう奴だから」が通用するおおらかな世界なんだと思います。対して女社会はもう少し異質に対してシビアというか、「何あの子」で終わってしまう非情さがあります。良い悪いではなく、世の中はそういう風にできています。

実際、私の観測範囲内ですが、大人のMENSA会員でも男性陣は結構「自分は最初から全開でいっていて、周囲も自分をこういう人間だと認識している」というスタンスが多いのと対極的に、女性陣は初対面だともう少しじっくりお互いの間合いを測るというか、まあ一般的な初対面での探りってこんな感じだよねみたいなところはあります。

話を戻すと、彼女たちは、自らの感覚が出る杭であることを痛いほど認識しています。クラスの中で、自分が意見を言わない方が言った場合よりその場の居心地が良くなると計算できたら、多分大人しくしています。

私自身はそこで過剰適応を発動させたり自分が変なのだ、と思ってしまった尺がだいぶ長かったように感じますが、そこはWISCを受けた子たちだけあって、ある程度自己理解をしています。彼女たちの中には過剰適応の末に体調を悪くしたりして心理検査に行きついたというケースも少なくないのでしょうね。。。

彼女たちの心を開くものは?

そんな高知能ガールズたちは、安易に優しく声を掛けたり褒めるだけの人に自分を出して話せる人認定は下しません。では、そのトリガーはどこにあるのでしょう。

個人的な感覚ですが、それは彼女らと利害関係が無く、そして彼女らを「子供」ではなく「一人の対等な人間」として見る視点なのではないかな、と思います。

とがっても、早口で喋っても、驚かない。引かない。シラけない。素の自分を出してOKだ。

彼女たちにとって自分を出せるサードプレイスとでも言いましょうか。

ギフテッドとか関係なく、人は自分の意見を安心して話す場があって初めてその領域での心の整理をつけられます。だから人の話を聞く、カウンセラーという仕事があるんですからね。

おわりに

彼女たちがギフテッドなのか、ASDなのか、ADHDなのかは医療者でない私にはわかりません。

一番大事なのは、彼女たち一人一人が自分の形を保ったまま社会の中に存在することです。

この記事で私はある程度の傾向、ということを話してきましたが、最終的には一人一人がどういう人で、何を思うのかの理解をすることです。

パッと見ただただ「さとい」だけ、しかしその理解者になれる存在はとても少ない。

世間から自分の一挙手一投足がどう見えるかが見えすぎるほど見え、良くも悪くも受け取る力が強い彼女たち。協調を求められる「俗」だけではなく、素の自分を出せる「聖」の居場所があるのとないのとでは、男の子以上に影響が大きいのではないかな、と思うほどです。

そんな彼女らにもっと光があたればよいな、と願ってやみません。

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