完璧主義についてそこそこ本気出して考えてみた

ギフテッド

はじめに

ひと月ぶりくらいの投稿になりました~。

最近、このブログのPV数がじわじわ伸びてきて嬉しいです!

どの記事がのびても嬉しいですが、ここ1~2週間ほど↓の女の子ギフテッドの記事がよく読まれている(当社比)らしく、なにかできないかなあと思っているところです。

さて、そんなことより、今回は私自身の完璧主義について書いていこうと思います。

完璧主義にも色々あるかなーとは思うのですが、今回はその場で、即、最適な答えをアウトプットしなければ!感との向き合い方という類の完璧主義です。

無対策だと何がひっかかるのか?そしていかにしてベストよりベター、初手で100点じゃなくてもいいか?そんな私自身現在進行形で日々考えていることをお伝えしていこうと思います。

どのような感覚か?

さてこの完璧主義。

私は当初すごいプライドの高い巻き毛の女性や七三メガネでカタカタカタッターン!なガリ勉キャラが「このワタクシが100点じゃないなんてありえないッ!!」みたいなことをのたまっている印象でした。

いいえ、違います。

完璧主義はもっと身近に存在します。

いうなれば上述した通り、相手の求める解を、この場で出さなければ!といった感じです(私の場合は)

それは一人で作業をしている時であれば「万人がなるほどと思うような内容、表現」とか、

誰かと話していて「双方100%の解を」とかいう感じでしょうか。頭が詰まって、うまく考えが流れなくなる時、大体こんなことを考えています。

もちろん実際その場でそのように意識している訳ではないのですが、後から考えると蜃気楼のような完璧を求めていたんだなあ…と冷静になるんですね。

背景には

相手にとっての100点ではない=自分にとっての不確定要素→怖い!忌避すべき!

みたいな思考もあるかもしれません。

どういう時に起きるのか?

個人的にはなにかうまくやらなければ!と思っている時です。

こうしてブログを書く時であったり、仕事の時であったり。

成果を出したい!うまいことやりたい!という気持ちが、気付いたら成果を出さねば!うまいことやらねば!になってるんです。いやぁ、不思議ですね。

友人との会話位であればここまででは無いのですが、仕事とか責任を伴う場だと割とよくあります。

このあたりは個人差があると思いますし、特に珍しい現象では無いはずです。

先輩には出来るけど後輩にはぎこちないとか、同期だけなぜかうまくいかないとか、わりとよくありますよね。

ただ、まあ、なんていうか、その場での答えを即出すとか、ムリじゃないですか。

ブログみたいなアウトプットであればネタがあったり、構成を考えたり。

人と話す時も、例えば遊びの待ち合わせ場所を決める時にお互いの中間地点を探ったりする。そういうプロセスをすっ飛ばして最適解を見つけるとか、ムリですよね。

待ち合わせの例で言えば「えーと、、、18時に渋谷ハチ公前!」とか一人でやっちゃうようなもんです。それに「新宿の方が乗り換え少なくない?」とか言われちゃうと勝手に傷ついちゃうみたいな。これ、もうちょいうまくやれますよね。笑

対策1:めんどくさいポイントを特定して認識からの対策

まず、上記のような現象が起きがちなタイミングとしては明確に自分のやることが定まっていない時に起こる気がします。

例えば皿洗いとかゴミ出しとか既にやることが決まっている時は無心で取り組む、ということができるのですが、すこし考えないといけない時や新規にやることがある時にありがちです。

仕事でなくても、あまり壊れない家電が調子悪くなった時の連絡先を調べるのが億劫だったりする感じですね。

もちろんブログの記事なんてその場で降りてくるものではないので、

ネタ帳のように書き留めていたり、毎回毎回いきなり本文をわーっと書けるものでもないのですが、「今頭に浮かんだものでもないものの構成を考える」というのが私の中ではどうもめんどくさいカウントされているらしいです。笑

だったらもうめんどくさくないボリュームで記事にすればいいんですけどね。

それができるのはXでのつぶやきなのかもしれないです。笑

対策2:「まずは5点のアウトプット」を意識

また、これは大学の特に興味のない授業のレポートを書くときに考えていたのですが、

まずひとまとまりの書きたいことがあった時、すごくざっくりと3行でまとめるなら?とか、テーマについて全く知らない人に説明するとしたらどういう言葉になるか?という事をしていました。

というのも、友人同士で進捗について話すときなどはなんなら自分が文章を考えている時よりも案外スムーズに内容について話せていたのです。だから、専門家から見たら穴だらけの説明なんだろうけども、特に専門でもない人相手に話すのはリラックスしている分返ってサクサク行くんだなぁ、と思うようになったのです。

なんだかんだ私が質はともかく大学の単位を取ったり卒論を書いて卒業できたのは、

友人に話すような気負いのしない気持ちで書く、直接提出するわけでは無いけどとりあえず書いてみた字数だけは満たした何かをとりあえず作り、

「さすがにこれをそのまま出すのはなぁ…」という気持ちで次に進むことが辛うじてできたからにすぎません。興味はないけどやらなければいけないことは、世の中にいっぱいありますよね。

受験の時のように得意分野を伸ばして伸ばして、という「秀でるための努力」ではありません。

日々をシブシブ生きる力というのも大事だなあ、と書いていてあらためて思いました。

おわりに

以上、きちんと理解しなければ、きちんと正確な記述をしたい…というタイプの完璧主義についての話でした。

こうして書いてみるときちんとってなんだよとセルフ突っ込みを入れたい気持ちにもなるのですが、これがいわゆる言語理解凸に嬉しくない方の完璧主義ができる一例なのかもしれないです。

肌感ですが、ある言葉を自分にとってしっくりくる言葉で伝えたい!という気持ちが一般的な感覚よりも強いんですね。現実世界の情報としては「嬉しい」一言で済むことを、「腹の底からしみじみ湧いてくるような温かい喜び」みたく伝えたい、そして「腹の底から」というフレーズが来るまで考えこんじゃうような人、この界隈には一定数いると思います。

ちなみに今回の記事のテーマはポルノグラフィティの幸せについて本気出して考えてみた、という歌から取っています。ボーカル岡野さんの声自体がスカーンと根明な、平凡な幸せこそ幸せだという曲ですが、短調の曲にハマりがちな考えがちな人がたまに聞くとなんだか気持ちが軽くなる曲だと思います(独断)。

では、今回はここまでです。

いつも読んでいただきありがとうございます!

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