「ラベリング迷子」読書会#2 「仕事で感じた自らのマイノリティ性」

座談会

はじめに

前回の様子はこちらから。開催形態や進行は前回と同様です。

5/19(土)に2回目の読書会を開きました!

今回のテーマは「仕事で感じた自らのマイノリティ性」。

今回は3名のスピーカーAさんBさんCさん(Cさんは途中参加)とオーディエンス4名の方、そして私まるというメンバーでした。第1回目のAさん、Bさんとはまた別の方です。

では、2回目にお話しされた内容について、早速行ってみましょう!

自己紹介

今回お話しされた方はいずれも皆様スピーカーはじめましての方々。自己紹介代わりに、さっそくご自身の仕事で「ズレ」を感じる瞬間はありますか?という質問をしてみることに(今から思うと、初対面同士でこんな抽象的な質問して、それでも答えていただけるのって当り前じゃないですよね。。)

Aさん:転職が多く、今は子供を教える仕事をしています。自分で言うのもですが、習得は早いと思ういます。ただ、自分が10感じたことを10で伝えるとtoo muchな感じがいつもあり、もどかしいと常々思っています
Bさん:周囲との回転数が違うという話は感じないが、相性の良い場所に行くと(組織より個人)集中力でガーっと「できてしまう」のを感じます。現在は少し距離を置いているが少し前まで支援職をしていました。

とのこと。ちなみにAさんはご自身でも仰っているように概要をざっとつかむのは早い、対してBさんは個別の事象から抽象に落とし込む方がしっくりくるとのこと。

前回同様、どちらかというと相反するタイプの方たちなのかな?そして、AさんタイプBさんタイプ的な比較が軸になってくるのかな、という第一印象です。しかし、この後の流れはAさんとBさんがお互いの共通点を探っていくような流れにつながります。

回転数の違い

お二人の仕事でのモヤモヤ感をもう少し詳しく聞いてみることにしました。

Aさん:周囲を見ていると、いつもこうしたらいいのになと思います。
子供を教える仕事の中では、やるにはきちんと向き合いたいと思っているが、お子様や親御さんにそれを伝えてもすべては吸収できないであろうこともまたわかり、うーん、、となっている

ここで出てきたのは、自分の思考をそのままの形で相手に伝えるのはあまり良い結果につながらない」という文脈。Aさんは10考えたことを10で伝えるとtoo muchという表現を使っていました。Bさんも頷きながら聞いており、お二人の共通点か?という流れになりました。

ここで、お二方に10で話せるひとはいますかという質問をしてみることに。
Aさん:自分の家族、また最近は近しい人は話せる。
Bさん:大学の友人やパートナー。すごく多いわけではないが、いる

理解者の存在の重要性がうかがえます。

ここでまるがお二人に聞いてみたいと思ったのは、その回転は文字でなされるのか?という点。まる自身が文字や言葉ベースで考える質なこともあり、好奇心で聞いてみます。


Aさん:自分は文字ではなく、図形。正直、語彙力は豊富ではない…。一人の時は脳内でイメージをまとめ、表や図として理解することが多いです。
Bさん:自分は言葉。紙に書きだすと自分の考えを把握しやすいです。

図やイラストで見せると一瞬の情報をあえて言葉で説明しようとするとすごく長くなってしまうことってあると思います。少し後にはAさんからは他の参加者の方は随分その場でぱっと言葉が出てきてすごい…という旨の発言もあったのですが、運営としてはもしかするとZoomならホワイトボードでも使えるようにすれば良かったのかなと思った瞬間でもありました(これは次回以降の検討事項ですね)。

ここで開始から1時間ほどが過ぎ、休憩をはさみます。いただいたコメントを見ていると、Cさんが途中から参加してくださいました。
Cさんにこれまでの流れを伝えたのち、Cさんの「情報の形」も聞いてみることに。

Cさん:自分は言葉が多いですね。いったん全部出してみて、それを並び替える作業が発生します。

この場には文字で情報を処理するBさん、Cさん、まる、そして図形などのイメージでもって物事を理解するAさんという構図があたるようです。「並び替え」というワードから、言葉で処理する側からはわわわっと浮かんでくる複数の考えを統合し、伝わるように並び替え、詳細すぎる情報は落としたうえで相手に伝えることが多いね、という流れに派生します。BさんとCさんの間では、以下のようなやりとりも。

Bさん:自分は他人がいないと気持ちを言語化できないというのはある。また、他の人の言葉を借りて「ああ、正しく自分が感じていたことだ」となるケースも多いです。
入浴時など、特に関係ないときに急に「あ、あの時自分はこう思っていた」と急にピタッとなるときもありますね。

Cさん:たしかに、人と話しながらだとより整理されます。

「しゃべれるが文章にできない」について

ここでまるの方から、個別などで子供を見ていると、口頭ではしゃべれるが文章にできないという声を多く聞きます。皆さんにはそのような経験はありますか?と質問を投げてみました。

A:話している中で「あれ?自分は今何を話していたんだっけ?」となるときはある(一同頷く)。クローズクエスチョンの時より、今のようなフリートークな場の方が今何を?となりやすい。

B:(作文ができなかったという話は無い、と前置きしつつ)言いたいことに当てはまる言葉が思いつかずいらいらすることがある。

C:自分は言語化できなくて困った経験はない。ただ、思考の速さに口が追い付かず、またそのボリュームの多さから10考えたことを省略する過程というのが発生することが多い

皆さん違うことを仰っているようにも映りますが、お話ししている共通点としては「頭のどこかの回転数が別のどこか(少し前の文脈や言語へのあてはめ、口の動き等)に追い付いていない」ということが挙げられます。もっとも、この点に関しては共通点として当てはめることも、それぞれの違いとして比較することも両方できたかな、と振り返ると思います。Cさんはこの流れについて以下のようにまとめています。

C:よく人への伝え方は難しい、というが、私たちにとっても伝え方を考えることは一生涯続くのではないかと思う。後天的にトレーニングをすることでよりよいものにはなるのではないか。

オーディエンスの方からの質問

ここでオーディエンスの方からの質問が来ました(一部内容を編集しています)。

質問です。身内や親族と話す時と、他人と話す時とスピードや話し方は変えていますか、
小学校低学年の娘は私に話す時は何を言ってるか分からないのですが、他人と話す時は理路整然と話してます。
大人になると母親とも普通に話せるようになりますか?それとも母親だからこそ甘えだったり、
リラックスしているからでしょうか?もし時間があったらお願いします!

スピーカーの皆様の感想は以下の通りでした。

Aさん:お母さまには感じたことをそのまま伝えているが他の方へは考える労力を割いているという印象を受けました。右脳全開的な。
Bさん:自分も、親と話すときは感じたことをそのまま話します。時間も十分あるし、話すことで思考もまとまるので。
Cさん:甘えというなら甘えかもしれないが、安心しているとも言えると思います。成長によって普通に話すようにはなるのではないでしょうか。

まるも3名とほぼ同じような印象を持ちました。もちろんあくまでこの少人数の場の中での意見ということにはなりましたが、恐らくそう遠くないイメージをお三方の言葉でそれぞれお伝えいただいたのかな、と感じています。ここでちょうど終了10分ほど前になったので、お三方に今日の感想をいただき、お開きとなりました。

会を振り返って~まるの長い所感を添えて~

※長いので読むのが面倒な方は飛ばしていただいてOKです

今回は、A,B,Cさんともに「思考の回転数」という1つのテーマについて話す場となりました。
これは最初に会話をしていたAさんとBさんの中で共通項を見出そうとする中で、互いの思考の「回転の多さ」「周囲への伝え方」という部分が共通するのかな、と探ってくださったが故の流れだったのではと思っています。
もともとのテーマが「仕事」だったので、もっと具体的なエピソードが出てくるかも?と実は当初思っていたのですが、早い段階で抽象化されることで個々のエピソードというよりは「確かに自分もそうだ」と感じる範囲の広い雰囲気につながってくれたのかな、と会を振り返っていて感じます。

そして、幾度と言葉を変えて出てきた「アウトプットを省く重要性とその負荷」についてフラットに議論がなされた、というのが実は今回一番うれしかった点でした。

なぜなら、日常の場では「直すべし」と即座に一蹴される尺長さについて、各々が当事者としての言葉で語ってくれたからです。

実際、長すぎる話を聞くのは基本的に労力でありコストです。人の話を「早く終わらないかなあ」と思いながら聞いた経験が全くない人というのは、いないのではないでしょうか。仮にも思考の量が多すぎて困っちゃ~うなんて言い訳なんかされたら、しばき倒したくなりませんか?私はなります。


私まる自身も、自分の考えをそのまま言ってはきっと尺長と言われるんだろうなあ、と思うことは多く、実際うっかり尺を縮め損ねて話してしまうことで「もうちょっと端的にならない?」「そこまで細かくなくていいんだよ」と言われたこともしばしばです(だからブログとか書くんでしょうね笑)。


そういう「自分がされたら嫌だ」的な感覚、そして「無加工だと自分たちの話は純粋に長い(too much)」という2つの観点から、今回スピーカーだったような方たちは普段は後天的に自身の話を短くする練習を必要に駆られて行っているし、実際大事なことなんだと認識しています。

しかし、その尺を縮めるというのは、紛うことなく手間であり、労力である。その観点について話せたのが、一当事者としてしみじみ嬉しい回でした。

おわりに

今回も、前回同様とても盛り上がりが見られてとても嬉しかった会となりました。

図らずも第一回目で最後の方に出てきた「言語化より思考の回転数」の話にもつながり、この文章を書いている時もおおっ、となりました。

次回は読書会としてはラストの「家族について」。ご本人はもちろん、自身のご家族が「ラベリング迷子」っぽいよ、という方にぜひスピーカーとして参加していただきたいなあ、と思っております。

以上、2回目の報告でした。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

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