私はギフテッド?~「ズレ」の棚卸し(2)~

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私はギフテッド?~「ズレ」の棚卸し(1)~ の続きです。

はじめに

いつも読んでくださり、ありがとうございます!

今回は前回に引き続き、「IQ値(主に言語)こそあったらしいけど、ほんとにギフテッドなんか名乗っていいんだろうか」というスタンスで私のズレっぷりを探る記事2回目です。

第二回目は中学・高校編です。前回がわりと勉強など「できる」面でのはみだしも多かった中、この中学~高校という時期はいよいよ自分がマイノリティであることが浮き彫りになってくる、人と比べてなんだかパッとしない、なんだか浮く、、、という時期だったと振り返っています。というか中学生の時なんて特に目立って何かに優れていたこととかなかった気が・・・。

もちろん、この時期は思春期にあたる、誰もが自分について考えるタイミングではあるのですが、いろいろ振りかえる中でなにか見えてくるものがあればなー。と思っています。では行ってみましょう。

中学生

上記でお話した通り、中学時代はけっこう暗黒期だったイメージ。「ない」ものばかり欲しがっていたんでしょうね。。

  • 期待して入学するも、小学校と違い男女の見えない壁を感じる。中1.中3のクラスで浮く。
    • 小学校が性別の境界が薄いクラスだったことを思い知る
    • それまでの「勉強ができる」ポジションが高下駄であったことを思い知る
  • 恋バナ、ジャニーズがよく分からない。
    • 「嵐の中で誰が一番かっこいいと思う!?」と聞かれたらとりあえず松潤と答えるようにはしていたが、本当に松潤が好きな子にはうっすら申し訳なく思っていた
      • 部活の友人からCDを貸してもらった時は、「曲は好きだけど歌詞はよくわかんないな」という感じだった記憶。とりあえずちゃんと聞きはした。
    • 自他ともに認める恋バナのわからないヤツだった。
      • その人の結構センシティブな部分の話だと思うんだけどみんなよく喋ってすごいなあ…という見方だった
    • イケメン・美人に対しての感情が「お顔がきれいですね」で完結。
      • 芸能人に興味がない、ドラマもあまり見ない。実際に会ってしゃべる訳でもない人だしなぁ…という感じだった。
      • 当然のようにおしゃれや化粧にも興味なし。
  • 茶道部と美術部に入るも中1でやめる。
    • 茶道部は左利きでなければ多分続けていた。
  • 代わりにイラスト研究会と合唱部に入る。
    • こちらは高2の引退まで続けた。
    • 中高の友達≒部活の友達。
  • 成績は中1から高1の途中まで右肩下がり
    • 深夜まで勉強していた時が一番結果が出なかった。
    • 気に病みすぎて定期テストの度に泣いていた。
    • こういう記憶もあるのでIQ値と成績は必ずしも比例はしないと思っている
  • 上記のように、クラスの中にいると自分は「ない」ものばかりだなぁ…と思い、
  • 中学のあたりで、「自分の考えや気持ちは何か間違っている」「間違いを正すように生きなければ」「でも、自分はどこにいるんだろう?」という感覚が作られ始める。
  • 自分がどう思うかよりも周りからどう見えるかなんだ、なんでかは分からないけど。と思う節があった。
  • 部活には妙に懐いていた先輩が何人かいて、その先輩と話している時は自分が「いる」感覚があった
    • しかし、↑の先輩たちを含む部活のお姉さま方の間で流行るBLにはハマりきれなかった
  • 中2ごろからちょっとこの子は…というタイプの子に絡まれる
    • 「根本的に自分に自信が無く、私を下に見ることでなんとか自尊心を保とうとする」タイプの子だったと分析している
    • 同じく自信が無いタイプの私になら話を聞いてもらえるカウントされていた記憶。
  • 中3の夏、イギリスに2週間短期留学に行ったのが楽しかった
    • 他科目と比べると英語はすこし得意だったのと、上記の仲の良かった先輩が一年前に行っていたことで興味を持つようになる
    • 「英語を話す自分」への妙なしっくり感と、楽器やイラストが国境を超える体験をして帰った

基本的に体感しょぼくてしょっぱい時期だった中学生時代ですが、部活に恵まれたことは大きかったですね。もちろん休みたいと思った日も少なくありませんでしたが、クラスで友達いなくても部活あるからしゃーない学校行くか・・・というマインドでいられたのは本当に友人のおかげだと思います。同学年の友人以外にも、学年が違う先輩後輩と喋っているとまた別の自分が出てきますからね。

この記事を書いていて、この時代にも自分は思っていたよりもいろんな人に目を向けられ、人の中で生きていたのかもしれないな、と反省しましたね。良くも悪くもモヤモヤが外より内に行きがち故の結果ではあったのかもしれないですが。あくまで一例としてお読みください。

あと、上記で言及している先輩とは同じパートの先輩後輩という関係だったのですが、おおらかで優しいムードメーカー、という感じの人でしたね。学年も一つ違いだったので部活で接した時間も長かった方でした。社会人になってからもたまに会っているのですが、学生の当時から「この人は自分の事をヘンな奴って拒絶しないだろうな」という安心感があった気がします。

高校

私の学校は中高一貫校だったので、持ち上がりで高校に上がりました。

高校になると周りが大人になることもあり、中学より居心地が良かった記憶です。

後述するように、志望校が決まってからの勉強の仕方や伸び方は「珍しい」ものだったと言えるでしょう。

  • 高1になってお弁当を誰とどこで食べてもいいようになり、救われた気持ちに。
  • 高1のオープンキャンパスと大学祭で志望校確定。
    • 街の雰囲気、派手な子が少なそうで友達ができそうという観点から
  • 学校単位で応募する新聞社の小論文コンクールで2回予選突破し、本選に行った
    • しかし何を書いたのかは覚えていない。自分はあまり会話での自己主張が得意ではないという認識だったので、なんでだろう?と思っていた。
    • 文章を考える時は、お題に対していくつか思い浮かぶ内容をザーッと書き出し、内容を取捨選択して文章の形に整形、という作り方でした。
    • (今思うと言語凸と知覚凹を「一人で考える」ことで埋めている?と解釈することもできる)
  • 高3で文理1クラスずつ設けてある選抜クラスに入るという具体的な目標ができる。
    • 高2で成績が爆伸びし達成する。目標が具体的であることの大事さ。
    • 余談だが、中学校編で言及した「ちょっと…」な子たちはこちらの成績が上がった途端扱いを変えて使った参考書など聞いてきたので、こいつらなんなんだと思った
      • 「(学校で一律で配られる参考書)が一番だよ」と返すスカットJAPANをする
    • 選抜クラスに入ったら彼女たちと離れられる!というのも高2までの裏ドライブ要因ではあった
  • 一方、追い抜いた子に対しては「私が蹴落としたんだ」などとあまり共感されない類の罪悪感のようなものを覚えていた
  • コツを掴んだ後の勉強は楽しかった。
    • 勉強している時、自分がすごくのびのびと自由になれた気がしていた。
    • 勉強というフィールドを通じて自分が「いる」感覚があるのが嬉しかった。
    • 科目ごとの得手不得手が激しく、使わない科目はとことん捨てていた
      • 文系だったのに古文と漢文がさっぱりだった。百人一首好きだったのに・・・
      • 倫理政経に興味が持てなさすぎて途中から日本史に変える
        • 倫理政経というか政経だけがダメだった
      • 受験全科目通じて体感一番難しかったのは化学基礎、という有様
  • 大好きな世界史が始まる高1から高2にあがるタイミングで家族でイタリア旅行に行かれたのを恨みに持っていた
    • 「授業が始まる直前にローマ行くとかなんなの!!!」というキレ方をする
    • 腹いせに現地の電車内で単語帳を見、ホテルで英語の長文問題を解いていた
    • 「大学生になったら自分で稼いだお金で絶対ヨーロッパに行く」と決意を固める
  • ミスドの店員さんに顔を覚えられていた事にいたく感動。「私の存在を無条件に覚えてくれる人がいるんだ…!」
    • この店員さんみたくなりたいという気持ちで大学入学後はカフェバイトをする
  • 高2の冬、「直近の定期考査の範囲だったのに本屋で名前を見た時に何をした人だったか思い出せなかったのにプライドが傷ついた」という理由で、当時新刊だったフリードリヒ2世(神聖ローマ)というマイナーな人物の書籍を読破することを心に決める。ただし高かったので親には買ってもらえなかった。
    • 学校の図書館に申請して購入してもらい、高3の夏休みに上下巻を読破した
    • 夏休み明け、友人にフリードリヒ2世のすごさについて語り苦笑いを浮かべられる
    • しかし秋ごろの志望校模試でまさかの彼が設問のメイン登場人物としてに登場。「推しが模試に出た」と鬼の首をとったようなテンションに。
  • 予備校に通わなかったこともあり、自分の勉強を省みて「受験勉強の仕方としてはいいとして、こんな取り組み方で、将来他者と関わりながら働いてお金を稼ぐなんてできるんだろうか」という一抹の不安があった
    • 純粋に家と学校が近すぎて駅が遠かったという要因もあった
    • 努力量の割に点数が伸び悩む科目を容赦なく切ったり、既に理解している内容を極限まで省くといった自身の勉強スタイルが独特なものだったことをうっすら悟っていた
  • 合格体験記を書く時、なんとなく「私の内容が参考になる人はいないのではないか」と思った
  • 憧れの第一志望だったのに、受かった途端「私に行けたんだからゆーて他の人もいけるっしょ」という思考にスリ替わっており、さすがに原文ママで書いたら反感しか買わないだろうと思うとともに自身の認知の歪みを感じた
  • 現役生には珍しくないが「併願校全落ち、本命だけ受かる」という合格の仕方をした
    • 「私は(落ちた学部)に行くために勉強してたんじゃない!(本命)に行くために勉強してたんだ!!!」という火事場の馬鹿力。

以上、中高の思い出でした。

上記のとおり、受験では結果の出た私。ただ、その努力の仕方はやっぱりちょっと周りと毛色が違うものでした(そういう時の自分は好きですが)。

正直、受験に落ちていたらもう少し自身の身の振り方についてもっと違う観点で省みていたのかなあ、なんて思っています。

とはいえ、大学在学中もなんだかんだ「自己肯定感 低い なぜ」「相談下手 長女」みたいな答えになりそうで結局ならない検索をかけて調べてはいたんですけどね。ブログを書くまでには至りませんでしたね。。社会人になって、「受験勉強への取り組み方で、将来他者と関わりながら働いてお金を稼ぐなんてできるんだろうか」というあの時の問いに、就活で大コケしてから今に至るまで、現在進行形で絶賛向き合っています。

なお、学歴だけは手にした身としてこれだけは言いたいのは、「勉強できればそれでいいなんてこと絶対ないんだよ」ということでしょう。

では、今日はここまでです。読んでくださりありがとうございました!

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