【自己紹介】1.小学生まで編

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【自己紹介】では、私の自己紹介を3記事に分けてお送りさせていただきます。

1記事めでは小学校卒業までを扱います。

幼少期

千葉県の出身です。

「小さいころどんな子供だと言われていましたか?」

そう答えるといつも「本が好き」と答えてきました。

大人になるということは、挿絵が無くて文字の小さな本を読んで理解できるということ。

私は本気でそう信じる子供でした。おままごとや鬼ごっこなどの遊びも普通に楽しみつつ、幼稚園時代は「本を読むと大人は誉めてくれる」そんな学習をした時期でもありました。

また、私には2歳下の弟がいるのですが、彼の存在によってその後しばらく続く「頑張れば周りは見てくれる・そうでなければ見てもらえない」という価値観ができた気がします。

往々にして上兄弟というのは下兄弟ができると「それまで自分一人に目が行っていたのに・・・」という気持ちにさせられるのですが、私はまさにそのパターンでした。

上兄弟にも下の子可愛い~♡という子はいましたが、私は弟可愛い~♡より、断然「親からのリソース返せよ」というスタンスでした。今でこそ弟には悪かったなという気持ちではありますが、「何とかして大人からの承認を得てやるんだ!」という気概はこの頃からすでにありました。

小4~5:抜毛症開始時

抜毛症になったのは小4-5の頃です。小学校高学年で発症する長女。うーん、役満ですね(?)

私は中学受験をしたのですが、勉強の仕方としては「塾に行かず母親とマンツーマンで教わる」というものでした。もちろん家が舞台です。
できなかった時は怒鳴り声を真正面に受けながら問題を解くという、お世辞にも健全とは言えない勉強環境でした。

やめたいと思った記憶はありません。やめるという選択肢は自分にはないと思っていたからです。親としたら本気で嫌がったらやめさせようとは思っていたようですが。。

抜毛症のはじまりは学校で先生の話を聞いている時でした。
ふと眉毛を抜いたのが始まりでした。なぜ抜こうと思ったのかは思い出せませんが、なぜか一本、もう一本、と続いていきました。
「眉毛抜いたら人相変わるよな?」と思いすぐに髪に移行し、そこから今日まで抜毛症当事者です。

勉強の楽しさを知ったのも中学受験あってのことではあるのですが、「勉強は承認のための手段だ」と無意識に学んでしまったのは、あまり良いことではなかったですね。

心配した親からはやめなさいとテンプレ通りのNG対応をされるも止まず。
検索かけると出てくる「抜毛症の子供にかけてはいけない言葉」はだいたい一回は言われてきていますね。笑 
まぁ言いたくなる気持ちも非常にわかりはするんですけどねえ。。

発症要因についての見解

小学校は普通に楽しく通っていたので、私の場合は学校由来ではないと思います。スポーツは中の下くらいでしたが、勉強以外にもなにかと褒められることはあり、おだやかな友人に恵まれたこともあり、受験生故に授業が退屈だったことを除けばあまり大きなストレスはなかった時代でした。

ただ、抜毛症の発症には様々な背景が絡むことが常です。

我が家の場合も、

育児をほぼ母が一人でワンオペであったこと
その母と実家との兼ね合い
私の親の期待に応えたいという気持ち

このようなさまざまな要因が絡み合っていたのだと思います。
抜毛症は穴であり、ゆがみです。先天的な症状ではないうえに未成年の発症が多いとされることからも、私に限らず、一般的に家庭という要素抜きに語れる要素ではないと言われています。

小学生まで編はここまで。中学~大学編に続きます。
社会人以降編はこちらです。 

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