はじめに
いつもブログを見てくださってありがとうございます!
今回の記事はもうそろそろ(2/18くらいかな?とは思うのですが…)皆様にもお目見えすることとなるkindle書籍『MENSA会員の出会った「ラベリング迷子」の女性たち~女性・女の子の分かりづらいマイノリティ性~』の宣伝をさせていただきます!
本の紹介はもちろん、書いていて思った事についても書いていきたいです。ではいってみましょう!
そもそもどんな本なの?
この本の概要としては、本当に、タイトルがすべて…それ以上語ることも…というのが正直なところですが、宣伝する以上はもう少し詳しく書いていきます。
まず、この本を書いた経緯です。これはひとえに私がこの界隈(ギフテッド/高IQ発達凸凹)において、名刺代わりのような何かを作りたかった、ということに他なりません。
もちろんこのブログを名刺にするでも良いのですが、けっこう殴り書きでネットの海にリリースしてしまっていることも多いところなので…笑 もうすこし界隈初心者でもアクセスしてもらえる形にしたかったのです。
皆さまご存じの通り、界隈にはさまざまな当事者・支援者がいますが、私の場合は「ぱっと見何の問題も無いように見える子・人」や「女性・女の子×界隈の特性、という表出は既存のギフテッドとはこういう子!みたいな像となんかちょっと違う」というところに関心が向く身なのだなあ、ということをよく考えています。ありがたいことに「まる」として界隈の方々と向き合うこともじわじわ増えつつある中で、他の方と関わる際にそのような話をする機会も増えたのです。
さて、書籍の内容にうつります。
まずタイトルにもある「ラベリング迷子」ってなんだ?とお思いになった方も多いのではないかと思います。これは上記で挙げたような、「パッと見ふつうにやっていけそうと思いきや、本人の中ではマイノリティ性を消化しきれていない」といった人たちを指す造語です。女性に多いとしていますが、男性にもあてはまる人はいるはずです。
本の最初の方では私自身の紹介と、この「ラベリング迷子」に関係するギフテッドやらグレーゾーン、カモフラージュ(擬態・マスキング)といった概念の説明をしています。
「グレーゾーン」だとあくまで「発達障害を疑うものの、診断が降りなかった」という意味になってしまうので、個人的にはもう少し対象とする幅を広げたいと思ったことで、この言葉が生まれました。自分の感覚がどうも世間一般とそこそこずれている気がする、くらいのものにしたかったのです。そうして出てきたのが「ラベリング迷子」という言葉でした。HSPでも発達障害でもギフテッドとも、はたまたメンタル疾患的な何かか…様々な概念に自分を落とし込もうとしたものの、どうにもしっくりこないというあの感じを表現したかったのです。
ここまで読んでいただいて気づいた方も多いかと思いますが、本書は別にギフテッドの本ではないのです。そして、基本的にはモヤモヤとした自己不全感を抱える人に向けた、困りごとベースの本なのです。
第二章では、「ラベリング迷子」の例紹介×3。まあ、このブログを読んでくださっている方からすると、界隈にいそうな小学生・中学生・大人の例を取り上げている、という感じです。
私はtwitterで以前【知見募集】という形で女の子のいる保護者の方ないし女性当事者にオンラインでお話を聞かせていただいたことがありました。(協力してくださった方、本当にありがとうございました…!!)日頃界隈の方と接する中で感じた肌感とかけ合わせ、「いるいる」という感じの女の子・女性を書いたという次第です。
この章を書く上では、あくまで診断の有無やIQ値といった要素は書かないことを大事にしました。文中ではこの三人全員がWISC/WAISを受けているのですが、その具体的な数値であったり、いわゆる診断などの「ラベリング」にあたるものはあえて書いていないのです。これは、そもそもがセンシティブな範疇の内容なのと、数値を見ることで必要以上の解釈をしてほしくないという思いからです。(裏設定として色々考えてはいたのですが、大事なのは一人の人としてその後どうするかなので…)
第三章は、じゃあ明確なラベリングこそないものの、どうすれば自分を表現する場所は作れるの?ということについて考えを書いていきます。これは私がやってきたことベース前回なこともあり「自助会やSNSで近しいメンタリティの持ち主と関わってみましょう。自分を何かしらの形で表に出してみましょう」というものです。書いてみて思ったのですが、「ラベリング迷子」ゾーン向けの自助会は本当に必要ですが今のところここ!というところがありません!(私が知らないだけかもしれませんが。特に成人女性!)
この界隈に限らず、自助会そのものが開催者の性格を色濃く反映するものになるとはよく言われるものですが、「居場所プロジェクト」やっていてもこういうところはもっとあっていいんだろうな、と思います。もちろん同類と傷のなめ合いだけしても、という論はその通りなのですが、一人の人の様々な居場所、サードプレイスのうちの一つ、という感じでです。
発信に慣れてくると自分の感じ方が分かりやすくなってきたり、過去に対しての思い出し怒りが出てきり、いろいろあるかと思いますが、それはあなたが(それこそ自分自身よりも)世界を大切にしようという気持ちの表れだったのでしょう。これからは世界の中に自分もねじ込んで、サステナブルなお互いさまができるにはどうしたらいいかという指針で考えていきましょう、という旨の主張をしています。
第四章では、いわゆる界隈キッズをとりまく構造上の限界について触れています。この章に関しては男女差もあまりない気がします。
疲弊する教育現場に対して個別対応を求める難しさや、それこそさとい子特有の「気づかれづらさ」によって周囲も、下手すれば本人も気づかないまま時だけ過ぎてしまう現象。
そして、白黒思想や完璧主義、強すぎる正義感といったなまじ考える力がある故の特有の考え方を解きほぐすことで生きづらさを緩和し、最終的に自立につなげるといった界隈民に向けた療育のようなシステムがまだ世の中では体系だっていないよね、という話です。
最後、第五章では私が携わっている諸々についての紹介をしている、という作りです。
以上、本の紹介でした。本当に、このブログの延長線上というか、私が今まで見聞きしてきたものをまとめてみましたよという本だということがおわかりいただけたと思います。
書いてみて思ったこと
以降は本の紹介というよりは私の感想になります。
私がこの本を作っていてとても印象的だったこと。それは、ブログは一人で書けるけど、本は一人では書けないということです。
そして、文字数が多くなればなるほど、分かりやすい文章を書く重要性。
一つ目からいきます。ブログはみなさまご存じ?のようにアカウントを作成して文章を書けばすぐできます。はてなブログやnoteだと本当に会員登録が秒で終わります。あとは書くだけです。ネタさえあれば一人で書けます。最初のうちはなかなか閲覧数も伸びないかもしれませんが、根性です。
しかし、本はそうはいきませんでした。とりあえずブログ10記事分くらいのを書けばいいだろうとなんとも舐めた姿勢で始めた私でしたが、一通り書いた後で「あれこれ章立てとかどうすればいいの?」となります。一応最初にも各テーマは設けていましたが、書くうちに重複や差込みなどによって当初の予定はグズグズと崩れていきます。
それから何とか形にするものの、文章に慣れてしまった自分の目では誤字脱字や表現の分かりづらさにはなかなか気付けません。せっかくなので、知見募集をしていただいた方に許可を取り、文章を見ていただきました(本当にありがとうございました)。
この時すごかったのは、そのうちのお一人が文章を分かりやすくまとめることに長けており、こうするといいですよ!分かりやすい方が絶対いろんな人に伝わる文章になる(大意)というアドバイスをくださった事でした。文章を作るうえでこのようなテクニカルなものからうっすら逃げて来た私は、今回を期にできるようになろうと見よう見まねで文章にメスを入れてみました。
するとどうでしょう。その方が例として出してくださった文章の例ありきですが、全く違う印象の文章に。絶対こっちの方がいいな、と思ったのです。少ない文章量では簡単にできる作業でも、そこそこの長文でやるのはそれはそれで大変だな、とも感じました。
また、文章を整理するという工程の中では、不思議なことにこちらの考えも整理されてくるのです。こういうニュアンスも加えたい!この出来事とこの出来事の間にはこういう繋がりがある!など、初期のころには出てこなかった、それでいて表現したかった言葉がいくつも出てきたのです。
また、今回は表紙イラストの使用許可を作家にとったり、表紙デザインの作成や宣伝文作成を人に依頼するという今までの人生でやったことの無いこともやる機会になりました。当初こそ「表紙なんて適当に自分で作れるんじゃない?」と舐め腐っていた私ですが、書いていく中でこだわりが出てきて、最終的に震えながら方々に声をかけることになりました。結論としては、確実に自分一人では出てこないようなクオリティのものに仕上がったと思いました。宣伝文に関しては言わずもがなです。ご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。
おわりに
今回私は初めて本を書くということをしました。「ラベリング迷子」は今まさにさまよっている方から、過去への怒り悲しみに向き合う方たち、お仲間や自分の表現方法を見つけた方、そして諸々を受け入れた先の方…一人でも多くの方に届けばいいなと思って〆の作業をしています。
また、5ケタを超える文章を扱うというのは、もし大学生の時に本気で卒論を書くという経験をした方であれば恐らくご経験があることかと思います。
私は「卒業する」という目的で卒論を制作していた雑魚だったので、今回の方がよほど熱を入れていた気が。。
また、文章以外にも諸々にご協力を仰ぐ、という経験もさせていただきました。仕事で言うとおよばずながら出版社の作家+編集の業務をやっていたことにもなるので、本業の方は本当にすごいなという尊敬の念が湧いてくる経験でもありました。
様々な方にお声がけをする中、暖かい声をいただけたり、自分の無い部分に向き合う機会になったりと、心からやってよかったな、と思いました。本の作成にも限らず、自分主導で何かを形にする楽しさやそれに伴う諸々、という経験はとても貴重なものでした。
まだ完全には終わっていないので、もう少し〆の作業を頑張ります。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!