「青本」読んでみた ①子供の目の輝きって高づくよね

ギフテッド

はじめに:青本来たる

ウチに「青本」が届きました。

『ギフテッド その誤診と重複診断』のことです。

買おうと思ったのは、「わが子がギフテッドだとおもったら読む本」を読了し、7割型自分の物語だとおもいつつやはり上には上がいるものなのだなあ、と思い、しばらく経った頃でした。

たまたまTLに上がってきた「凸凹っ子は低血糖になりがち」という旨のツイートを見て、たまたま薬局に寄ったので、ふーんと思いブドウ糖スティックを買ったのです。

これがべらぼうに効きました。

私は結構出先なんかで読書や勉強をするとボーッとしてしまうもので、まあそんなものなんだろうと思っていたのですが、それがぴたりと止んだのです。

この糖分は頭に直接効くーーーーーーーーー

やはり、私の脳みそは燃費が悪いのだーーー

そして、上記のツイートの出典こそ、なんとなく難しんでしょ?いつか読めばいいと見て見ぬふりをしていた「青本」ーーー

今が読むタイミングだ、そう確信しました。

そうして、今、まさに現在進行形で読んでいて、ブログのネタにもしようとしている次第です。

ということで、しばらくはこの当時者?が青本読んでみたシリーズということでお付き合いいただければと思います。ちなみに今回の文章ですが、お試し的にですます口調を止めています。どういう書き方が一番しっくりくるか考えている感じです。

君の眼の輝きは高づく

さっそく初めから読んでみる。

ふむふむ。ギフテッドはさまざまな特徴を持つ。その中には、集団や同年代と溶け込むのに困難を見せる一方、知的ないし感性、芸術云々といった要素で明らかなめざましいものをみせることもある。

一方、ギフテッドのIQ値の高さゆえの感性のずれや感受性の強さはしばしば発達障害によるものとごっちゃにされる、というか事実2Eというように両方持っているとされる子も決して少なくないーーー

ふむふむ。大体どこかで読んだことある内容だな。思ったよりサクサク読めるぞ。

ギフテッドの子供には、しかるべき環境や同じような友人との間ではそれまで死んでいた目が光り輝く瞬間があるーーー

「ママ!このクラスはすごいんだ!~~はパソコンのことなんでも知ってるし、~~は怪獣博士なんだよ!ぼくは~~が得意って褒められるの」・・・

そっかぁ。お目目キラキラでパパもママもハッピーだ。ギフテッドクラスにご縁が会って良かったね・・・。

ギフテッド界隈の本にはしばしばこういう「環境を変えることで瞳の輝きを取り戻すギフテッド児」の像が語られる。

本人たちにとって環境が大事であること、ASDの診断などでしばしば引き合いに出される「どこに行ってもコミュニケーションがうまくいかない」という像とは違う、ギフテッドネスという概念が別個存在するのだということを主張するためのエピソード、というように解釈をしている。

しかし。私の基本スタンスは逆張りである。

こういう「めでたしめでたし」という具体例を挟まれるとちょっとモヤッとする女、それが私である(幸福度の低い人間である)。

このモヤモヤは何なのか。子供が楽しそうにしていてなにがダメなのか。

それは、「その瞳の輝きにはコストがかかってるよね?」という気持ちである。

例えば、同じ瞳キラキラでも、とりあえずアンパンマンを見せておけばキャッキャしてくれる子であったり、お友達と追いかけっこだのおままごとだのしてアハハウフフしている子というのは、相対的にコストがかからないと言える。友達とお互いに「いっしょに遊ぶのは楽しいね!」なんて思ってくれているものなら、もうでかしたぞ、という感じ。社会的お互いさまが、他者との循環が生まれて、これぞめでたしめでたしだ。

一方。自身の(決して同年代からしてメジャーとは言えない)趣味を弾丸のように喋りまくる、知的好奇心の赴くままに動く、喋る…というのには、相応の守られた然るべき環境が必要だ。

なぜなら、一緒にいて楽しいという同級生の反応だったり、純粋にその情報を知りたい人が詳しいからと尋ねに来るような、聞き手に与えるものが無いからである。だから、こういうアウトプットを受け取るということを可能にするのは、本人ではなく親御さんの涙ぐましい精神的肉体的親心と運とお金…つまりコストである、と私は思うのだ。

決して、「ボクはワタシはこんなにモノを知っているんだぞ!」というスタンスだけではダメである。そして、最終的に本人にとって大事になるのは、本人がその環境を自力で手に入れること。

興味関心ごとにコミットしつづけるためのお金であったり、他者と関わるのであればそのコミュニティ内でうまく他者とやっていく力である。好きなものを仕事にするまでいかずとも、まったく何のメンテナンスなしでは趣味は続かないのだ。

子供の瞳がキラキラしている、というのにモヤリとするのは、その一瞬だけ切り取られて、

やっぱり才能溢れるギフテッドチルドレンの芽が伸びるには「本人に合った環境」が不可欠だよね★

という言質に対し、それを維持するサステナビリティという観点を感じないからだろう。

もちろん幼い子供に上記のようなことを言うのはまったくもってナンセンスである。

当事者に一番必要な土台は、まず瞳の輝きのありかではあると思うからだ。

そこすら肯定できていないと、「じゃあ、どうすればそれが実現できるか?」というサステナビリティの議論という次のステップには進めない。

私自体も、なんとなく自分の興味・関心の赴くままに行動することはあまり良いことと思われない、善か悪かで言ったら漠然と悪、という感覚で子供時代を過ごしてきた身である。

もちろん、子供には目を輝かせていてほしいし、自分のような思いをしてほしい訳でもない。

ただ、今でこそ「アロマに興味があるのね」位の表現に落ち着くけども、当時の自分が本当に「ありのまま」でいたらどうなったか。

ショッピングモールの中のラッシュの店員のお姉さんに

「(商品名)に入っている(成分)って保湿効果があるらしいですけど、それって(別の製品の保湿成分)とどう違うんですか?」だの、

「ラッシュは環境配慮を売り出していますけど、実際石鹸とか入浴剤とか流すと水は汚れますよね。バスボムの中に入ってるバターの欠片とかラメってそのあたりどうなんですか?」

だの、本当に「ただ知りたいから」という一心で訊いていたんだと思う。

場が凍り付くのは言うまでもない。

乾燥肌に悩むOLが化粧水選びに悩んでいるのではなく、オマエ何もしなくても肌綺麗じゃん、という小学生が保湿パックの中のカオリンについて納得いくまで店員に質問攻めするのなんかやっぱり誰もがもてあます…はずである。

もしかするとこんな例すらマイルドな方なのかもしれない。知らんけど。

ここでもしウチの親が本気出してラッシュジャパンに掛け合って、

生産工場のツアーに連れて行ったり、そこで働く人になんでも質問できる時間を設けるとかしたら、そしてそれが実現されていれば、確かに私の知的好奇心は満たされたかもしれない。

ただ、それは果たして同年代との共通の話題になるだろうか?

そして、私はそれを自分で手に入れたと言えるだろうか?

仮に実現していたら、有償無償問わず、多くの人が自分のために動いてくれることになる。

仮にも、仮にも、子供がそういう待遇を当り前だと思ってしまったら?

それはもう、いけすかないこましゃくれクソガキ一丁上がりという本当にそれだけだろう。

今、私はひとりの大人として、自分の稼ぎで嗜好品を買い、時々かつての自分に思いを馳せたりする。でも、それは、自分で足を運び、金を払い、「お互い様」の範疇で楽しむものだ。SNSで趣味繋がりの発信をしたり、同じ物を愛する人達と話すのにも、最低限の礼儀やマナーは存在する。それを守ったうえで、素敵な物を愛でる。然るべき場を作れて初めて、オタクトークに花が咲く。

繰り返すようだが、大人と子供の趣味は違う。子供には、確実に、ただ何かを純粋に楽しめばいいという側面はある。

ただ、大きくなった時に何かを楽しむには外界との「お互い様」が不可欠になる。だから、その場で目がキラキラしている、というだけでは、それを支えている存在に光が当たっていない気がするのだ。

おわりに:それでも、両の眼の光はプライスレス

実際問題、同じギフテッドの子供がいても、親御さんにお金があるか、どこに住んでいるか、教育に興味があるか…という子供にはどうにもならない変数です。

この界隈で親御さんと話していると、そもそも界隈に足を踏み入れる位には子供に関心があり、子供の目の輝きのために東奔西走、手間もお金も厭わず、本当に頭が下がるなあ…と常々思わされます。

この文章も、ギフテッドと言っておきながら、中の人は子育ての経験もない青二才であります。

ギフテッド、2E関連の書物であったり、もしくは実際にお会いする方々に触れて思うのは、自分の持って生まれたカードの特殊さもさることながら、この文章で私が何度も何度もコストがかかると書いた「子供の瞳の輝き」のために親御さんが全力を尽くしているその熱量のすさまじさなのです。

では、今回もお読みいただきありがとうございました!

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