自分で書いていて「本当になんでなんだろう」と言いたくなるこの質問。
子供や周囲の人が抜毛症という方でしたら少なからず疑問に思ったであろうことかと思います。
じゃあ抜いている当人は明確に理由がわかって抜いているのだろうか?と聞かれると、「ある程度の傾向はある。でもバッチシ言語化するのは難しい。そもそも言葉にできたところで理解や共感は得られないと思う」というのが、正直なところなのかなあ、と思います。
「抜毛 なぜ」「抜毛症」などと検索をかけると、
ストレス、不安、緊張、家庭内の事情、そもそも明確な理由は判明していない・・・などなど、んなこた言われんでもわかってんだよ仰る通りですね、としか言えない言葉が出てきます。学術論文などで検索をかけても、わりと↑と同じようなことが書いてあるくらい。
でも、やっぱりある程度はあると思うんです、傾向。
この記事では、あくまで私の言葉にはなりますが、当事者の感覚や代替行為について一番わかりやすい【不安・モヤモヤ・ストレス】にフォーカスして書いていきます。
さて、よく言われる「仕事や勉強でストレスがたまったり不安な気分になった時、抜毛しがち」。これはその通りなのです。
では、なぜ当事者にとっては「ストレス→抜毛」という構図になるのか?それを紐解いていきます。
この記事の結論は次のとおり。
当事者からすると、結論抜毛は癒しだからです。
なぜなら、「一人で完結する、見通しと報酬のあるイベント」だからです。
当時者でない限り、「は?」って感じですよね笑
もう少しかみ砕いてきます。
ストレスや不安というのは、紐解いていくと「自分一人では決められなかったり、見通しが立たなかったり、気持ちが上手く言語化・発散・表現できない」という事から生まれます。
そういう時は誰でもイライラして、まぁ良い気分はしません。
では、その真逆はというと、上記にあげたような一人で黙々となにかをするような行為なのです。没頭というやつですね。
当事者でない方にはすこし気持ち悪いかもしれませんが、抜毛当事者の大半は抜く毛を選ぶのです。チリチリしている毛だったり、枝毛だったり、あとよく耳にするのは毛根鞘(もうこんしょう)のついている毛です。
このような毛が抜けるとなぜかわかりませんが当事者は少し嬉しくなります。そして、何本も毛を抜く中で「この抜き心地のヤツは髪が痛んでいたり毛根鞘がついていそう(=当たり)」となぞの勘所がついてきます。
そして、自分の神経を研ぎ澄ませて髪を選ぶのです。
当事者でない方からしたら「何言ってんだこいつ」って感じかもしれませんね。とにかく、明確な目標に向かって自分一人でジャマされずに取り組める「不安、モヤモヤ」ではない場を、私たち当事者は作ろうとしているんじゃないか、と思います。
しかも、人に相談したのに思ったような答えが返ってこなくてガッカリみたいな思いもしなくて済むのです。髪は当事者を否定しません。抜毛が当事者に与えてくれるのは集中と安心です(つまり、それらが不足しやすい人が抜毛症になりやすい、ということでもあります)。
以上、当時者がこうではないかな?と考える「不安」と「抜毛」のつながりでした。
お読みいただきありがとうございました!