高IQだから良いという訳ではない、とは?

お子様について

はじめに

いつもご覧いただきありがとうございます!

こちらの記事は2024/9/22にXのスペースにてお話しさせていただいた内容のまとめとなります。

9~10月にかけて、以下日程・テーマで行っているものですので、もしご興味がある方は聞いてみてください。コメント等があっても、無くても、途中参加・退出でも大歓迎です♪

さて、今回は初回である「IQ値が高いから良いわけではない、とは?」というテーマについて、さっそく一緒に見ていきましょう。

そもそもIQとは?

まず、そもそもIQってなにさ?というところから。

IQ(Intelligence Quotient)、つまり知能指数とは記憶力や推理力、判断力など幅広い分野の能力を総合的に評価するものです。WAIS/WISCでは言語理解、知覚推理(WISC-Ⅴでは視空間・流動性推理の2つに)、ワーキングメモリー、処理速度という指標であらわされるものです。

IQ値は数値で表されるもので、一般的には同年代における平均が100、標準偏差が15と設定されています。すごく簡単に言うと、各指標で100を取ると大体同年代の平均くらいのスコアであり、それより大きくても小さくても平均からは外れていくよ、ということです。標準偏差というのはその母集団内のばらつきの大きさを指し、これが大きいとスコアのばらけた集団であること、対して小さいと平均の周辺にスコアが集中している、というイメージです。

さて、高IQの目安として130以上という数字が用いられることがありますが、あれは統計学的な考え方として平均(100)から標準偏差2つ分(30)以上離れるということが「一般的に少ない」とされるから言われるだけのことなのです。128だとギフテッドではなくて、131ならギフテッドだ!という意味合いではないのです。ですから、130が足切りだというよりは、「あー、受検したその時のスコアは世間一般的には外れ値なのね」くらいの認識を私はしています。

「高IQ」の世間一般的なイメージ

高IQ。一般的には、孤高の天才であったり、クイズ番組で早押ししていたり呪文のような謎の単語を答えていたり、はたまたなんでもできる!いわゆる天才!というイメージをお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

子供の当事者が取り上げられている番組ですと、数学の問題をずっと解いたり、PCでモデルを構築したり大人でもついていけないような内容を年端もいかない子供が語っている、将来は学者になりたい、といったことを語る子もいるな、と思います。

ただ、当事者として思うこととしては、上記のような例はいずれもかなり極端というか、その人のほんの一部分でしかないと思うのです。実際には、年相応の部分も当たり前ながらあり、また、テレビやメディアではどうしてもキャッチーな部分を取り上げるもの、という要素が大きいのだと思います。

高IQのデメリット①:IQの指標間の差の大きさが困り感に関係していることも

一人の人の中では、一般的にIQの指標間の差(ディスクレパンシーといいます)が15以上あると「有意に差がある」という表現をされます。有意とは「たまたまではなく、違いが生じることに再現性がある」ということです。発達障害の有無を調べる文脈で知能検査を受ける際、ディスクレパンシーが大きいことが診断の有無を決める上で一つの参考になることもありますが、ディスクレパンシーが大きいから発達障害だ!とは言い切れないところが気を付けていきたいですね。

さて、ディスクレパンシーが大きいと具体的にどのようなことが起きる傾向にあるといえるでしょうか。

例えば、言語理解や知覚推理といったインプット系の数値が相対的に高く、同時に処理速度の値が相対的に低く、差が生じている場合。それこそ一般的な日本の教育と相性が悪いのでは、と言われることも多いですが、板書をとるスピードが追い付かなかったり、問題の中間式を飛ばしてしまう(書かなくても正解がわかるので書くのが面倒)、もしくは書くけれど大きな手間になる、といった困り感を持つ方が多いです。

上記の組み合わせに限らず、ディスクレパンシーの大きさは本人の中の「分かっているのにできない」という感覚や、周囲からの「あれはできるのにこれはできないのか」という評価にしばしばつながります。

高IQのデメリット②:話が合う人を日常生活で見つけづらい

指標にもよりますが、IQ値が高いということがすなわち考える力の強いという性質を併せ持つことはよくあります。

このような表現だけであればなんだかただ優れているだけのように聞こえますが、同級生と同じものを好きであっても、その方向性や熱量など、「何かが自分と違う」という感覚を覚えがちなものでもあります。また、悩み方が深く「気にしすぎだよ」などと言われてしまったり、感覚的に自分は何かが違う(しかしその正体はわからない)となることも多々あります。

私はいわゆるギフテッドの子供に向けたオフ会のスタッフや運営をたまにさせていただくのですが、そこで子供の保護者や当人から

「うちの子があんなに楽しそうにしているのを初めて見た」

「難しい話ではなくても、水が合う感じがする」

「周りに合わせないのがこんなに楽とは」

といったコメントをありがたいことに多くもらいます。

大人同士のイベントであってもこれは同様です。興味関心のベクトルこそ様々ですが、「変わっている」と言われることは基本的に無い、良い意味で同一性を求められない平和な場所だなと思います。もちろん最低限人の話を聞く姿勢は求められますが、一般的に引かれやすいマシンガントークは皆がするものですから、そんな話し方へのハードルは非常に低いだろう、という肌感覚があります。

そのような場に身を置いていると、本当はこういうことを話したいけれど、はたから見たらこういう風に見える・思われるよね…でも言いたい!言う!というメタ認知の先の自分に出会える気がします。

高IQのデメリット③:「自分が自分である」ためのコストが大きい

スペースでは「管理コストが大きい」という表現をしていたこの部分。

ただ、生身の人に対して管理コストという言い方もあまりいいものではないかもしれない…と思い、ブログでは上記の表現をすることにしました。

当日の話の中では、この例として私の小学生の頃の趣味について語っていました。

当時の私は、最寄りのショッピングモールにあったスキンケアブランドのLUSHとお茶屋さんであるルピシアが大好きで、商品名や原材料を全暗記するいきおいで紙カタログを読み漁っていました。しかし、家族や友人と共通する趣味ではなく、使える金額も当然限られているわけです。

店員さんに対して話せないかと考えるも、想定ターゲット層でもなければお金も無いくせに製品のことを早口でまくし立てる小学生、他のお客さんが来ないか気を配りつつ引きつり笑いを浮かべる店員さん、そして「店員さん困ってるでしょ早く帰ろうよ」という顔でこちらを見つめる母…という絵柄を考えた時、それでもまくしたてる!とはなりきれなかった自分がいました。

このような子供がいる場合、何をしたら当時の自分は喜んだのだろうと考えると、

・メーカーの大人に事前に自分の子供についての説明をし、話す尺を設けられないか頼む

・工場見学やハーブ園見学など、関心のある場にアクセスするよう動く

・関連分野の書籍を見つけてくる

といったことが挙げられるのではないかと思います。

しかし、言うまでもなく、これらをコーディネートするのは親であり、手間もお金も時間もかかります。同時に、同年代の子たちの間のメインストリーム的な立ち位置であればまだ欲しいという気持ちへの理解も得やすいのだとも思います。たまごっちやDSを欲しいと思ったとき、「小学生っぽいものが欲しいと言えるのって、そうでないものを欲しいというよりハードル低いな」という感覚もまた、当時の私にはありました。

もっとも、この点に関しては「IT系やコンテストがある分野だとつながりやすいですよ」というコメントもいただきました。これは本当にその通りで、今はネットで趣味で人とつながる敷居はぐっと下がりました。discordのような無料/低価格で使えるオンラインチャットツールも今や当たり前の存在になりました。このような部分はぜひ今後も広がってほしい、存分に活用して仲間とのつながりや情報収集に役立ててほしい、と願うばかりです。

もっとも、ここまで書いておいてなんですが、子供の時に欲しかったもの、行きたかった場所のすべてにアクセスできないのは悪いことだとは思いません。なぜなら大人になってから自分の力で好きなものを手に入れることも十分できる、とも思うからです。

私は、誰に言われるでもなく、香水やお線香を買ったり、休日にハーブやお酒に関する工場に行くような大人になりました。この記事は紅茶を飲みながら書いています。もし小学生のあの時に親が私の趣味に加担していたらもっとニッチでコアな場所にいた可能性は確かにありますが、あまり飢えているような感覚は無く、今いるところで十分満足しています。

別に高IQとかギフテッドとかいう話ではなく、何かを好きでいる感受性は埋もれこそすれ完全には消えません。人間、本当に好きなものであれば、安心してそれを好きでいられる環境に身を置いたり、自分で動ける範囲が広がったタイミングで手に入れるように動く強さがあるのだと思います。まだ親になったことのない、どちらかというと子供側目線の言葉ではありますが。

あの日手に入らなかった何かを自分の力で手に入れるカタルシスは、それはそれなりにグッと来るものがあります。もしこの章をお読みになっている方で「自分は子供の趣味がわからなかったり、満足行くまで寄り添ってあげられていないのかも…」とお感じになった方がいらしたら、どうかご自身を責めないでほしいと思うのです。恐らくその要求水準はそれなりに高いものでしょうし、きっと上記のようにお考えの方は「好き」という気持ちを否定することはきっとなさらないはずなので…

高IQのデメリット④:困りごとが見過ごされがち

何か学校生活などで困り感がある時にWISCを受け、高いIQ値が出ると、「凸の部分で凹の部分を補えるはず」「頭いいんですからどうにかなりますよ」「様子を見ましょう」と言われてしまう。

どちらかというと周りが見えない訳ではなく、周囲とトラブルになるわけではなく、でも周囲に合わせるのがしんどいなどの理由があるなどすると、なかなか学校など現場もじゃあこうしましょう、といいがたい。そのような点についても触れさせていただきました。

もっともこの内容については本ブログの中の以下の記事の内容が詳しいので、ぜひそちらを見ていただければと思います。

おわりに

初回スペースの内容は以上となります。

次回以降の内容もまたこの記事のようにブログに上げさせていただきますので、ご興味ある方はまた見ていただければと思います!

では、今回はここまで。

お読みいただきありがとうございました!!

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