はじめに
いつもご覧くださりありがとうございます!
今回のテーマは哲学対話(哲学カフェともいいます。以降は「対話」表記とします)。
後述しますが、これは一つの答えの無い問い(お金は何のためにあるの?等)について、ファシリテーター(司会者)の元、複数人で考えるという場を指す言葉です。
哲学とありますが、参加にあたってはソクラテスや孔子、ニーチェ等々哲学者の思想について知っている必要は全くありません。
哲学対話というフレーズを聞いたことある方は…そこまで多くないのではないかな、と思っておりますが、界隈キッズ、そして大人の皆様にとっても、日頃の生活からは少し離れたサードプレイス的なものになるかと(少なくとも私は)思っている取り組みです。
これは私まるの近況なのですが、去る3/6に3か月ほどアーカイブ受講をしておりましたダイナミクス・オブ・ダイアローグさん主催の『哲学対話ファシリテーターのための探究コース 第2期』「哲学対話ファシリテーター養成講座」が無事に完了したため、あらためて哲学対話について触れたいと思った次第です。ではいってみましょう!
そもそも哲学対話とは?
「はじめに」でもお伝えした通り、哲学対話とは一つの答えの無い問いについて、ファシリテーターの司会進行の元、複数人で考える場を指す言葉です。
具体的には以下のような内容を「問い」とし、参加者全員で答えを考えていきます。
・友人と親友の違いは何か?
・勉強はなぜするのか?
・楽しい時間が早く終わるように感じるのはなぜか?
・文章の末が「。」だと怖い・冷たい印象を受けるのはなぜか?
このような、わかりやすく哲学っぽいトピックから
日常の身近な事柄に関することまで、あらゆるものが「問い」となります。(「問い」の立て方だけでも主催者の手腕が問われるところですが、今回は割愛します)
また、哲学対話の場には以下のような基本的なルールがあります。
・人の言葉をかみ砕いたり、返答を考えたりする沈黙の時間は大切なもの
・公式や一般論、既存の知識ではなく、自分の経験や考えベースで発言する
・一方的な否定やアドバイスはしない
主催であるファシリテーターによって場の雰囲気や出される問いは大きく変わりますが、
上記のルールはどこでも共通しています。
特に言葉の出ない時間も、発言する以上に大事な尺というのは
哲学対話の場が普段の日常会話とは大きく異なる要素かと思います。
哲学対話の具体例「なぜ人を殺してはいけないのか」
哲学対話の説明はここまでとなります。次は実際の会話がどのように進んでいくのかという具体例をあげてみようと思います。題材は「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いです。
まずは、法律で禁じられているからという観点以外から各々意見を出していきます。
「殺された側の親族や友人恋人等が悲しむから」
「仮に人を殺してもOKにしたら、犯罪が増えて治安が悪くなる」
といった意見が出てくることでしょう。
そこから派生して、次は「親族とは絶縁していて、友人一人もいないような人の場合は?」や、
「人を殺してOKにすると本当に殺人数は増えるのか?」という深堀りに繋がっていきます。
終身刑を受けた人の手記等を読んだことのある人がその内容について語るかもしれません。
そこから、より抽象度を増した議論につながるかもしれないし、また別の観点が生まれるかもしれません。
抽象的な深堀りでいうと、
「天涯孤独な人でも殺していいとはならないだろうがどう言語化したものか」とか、
「仮に人を殺してOKであっても、殺す動機がなければ件数も増えないのでは」
といった議論になります。別方面への広がりなら、「殺す」という言葉の強さに言及する人がいたり、数百年前の人の命はもっと軽かった、という話を出してくる人もいるかもしれません。
いずれにしても、哲学対話というのはライブであり、同じメンバーで同じテーマについて話し合ったとしても同じ対話は二度と生まれないのです。
今回は「なぜ人を殺してはいけないのか」という哲学対話の中でもかなりシリアスめな例をお伝えしましたが、実際にはもっとライトなテーマも沢山あります。
「バナナはおやつに入るのか」とか、「公共の場でいちゃつくカップルを見るとモヤッとするのはなんでか」みたいな、といったそれは哲学って言えるのか?と言いたくなるような内容ほど、実際話してみると面白かったりするのです。
これは各々のファシリテーターによって見解の分かれる点ですが、個人的には、あるお題について普段の生活の中ではここまで突き詰めて考えないよなぁ、という会話ができたらそれはもう哲学対話として成り立っているんじゃないかなと思うのです。
哲学対話のここがおすすめ!
この項では、哲学対話とは何かと説明する時に、結局何が得られるのか?ということに
ついて書いていきます。もちろん得られるものなんて問いの内容や発達・成長度合いにも
よるのですが、書いている内容としては大人にも子供にも同じことが言えるかなと思っています。
完璧主義・白黒思想に効く
なにせ「1つの答えの無い」ことについて複数人で考える場ですから、自己完結はしません。
自分一人で完結しないことや予期せぬことに漠然とした不安感を覚える人(私もです)が、
自分とは異なる他の参加者の見解に対し、どう向き合うかといった姿勢であったり、
人と違ってもいいんだ、ということが肌感覚で伝わる場なのです。
人によっては最初その処理がなかなかぎこちなかったり、モヤモヤしたりすることも
あるかもしれませんが、そのような時は無理に喋らなくてもよいのが哲学対話の良いところです。
また、自分と他人の意見の共通点を見出すのが上手な人がいたり、自分も使いたくなるような言い回しをしている人にふれる事もできるので、対話の後に発言者にその旨を伝えると新たな交流が生まれるかもしれません。
視野が広がる
哲学対話においては、自分が普段身を置かない環境にいる人の言葉や観点もその場に存在することになります。
同意できない部分や自分一人では思いつかなかった観点といったものも、
その中でも特定の箇所は皆見解が一致しているな、というものも出てきます。
あくまで参加者一人一人が対等な場ではあるものの、自分より一回り年代が上の方の発言などにも「自分だけではその発想は無かった」といったものは多く存在します。
また、哲学対話は必ずしもスッキリ終わる必要は全くありません。
その場で出た様々な要素を終了後に嚙みしめることにも大きな意味があるものなのです。
日常から少し離れたサードプレイスになる
哲学対話は1つ目でも述べた通り「普段の日常会話」とは少し違う話をするものです。
この点だけは少し大人向けになってしまうのですが、哲学対話の場は
日常生活の中で請け負っている「~~ちゃんママ/パパ」「~~課の~~さん」といった
社会的地位や役割と少し距離を置き、あくまで「物事を感じる主体としての一人の人間」としての自分が出てくる、フラットな場なのです。
ということもあり、まる個人としては、子供の参加者はもちろんのこと、保護者の方々の息抜きの場所としても哲学対話は機能させられないだろうか、などとも思っております。
ご興味を持ってくださった方がいらしたら、ぜひ「お住いの地域名+哲学対話」といったワードで調べてみてください。
オフラインはやはり都市圏内での開催が多いですが、オンラインでも多く開催されているので、peatixやこくちーず、X等で検索を掛けてみてほしいです。
一回あたりの参加費はそこまで高くない(高くて2000円ほど)ところが大半です。
まるがファシリに興味を持った理由
元々まる自身は大学生時代に哲学対話に2,3回ほど参加し、面白い!と思っていました位でした。
社会人になってからは遠ざかってしまっており、しばらく思い出すことは無かったのです。。
そして時は流れ、高知能凸凹の子に多く接することとなりました。
なんだかんだボードゲームとか、なんならそこまで戦略的なものでもない人生ゲームのようなものでもみんな楽しそうにしていますし、
それはそれとしてこの子たちまぁ喋る、そしてその早いこと早いこと(※全員ではないです)。。。
そのような中、「きっとこの子たちには同じような仲間と接する機会が必要なんだ。でもどういう場所なら楽しんでもらえるんだろう…?」と自分なりに考える中、
そうだ、哲学対話があるじゃん。
とひらめいたのです。
私がファシリテーターになった暁には、日々小難しいことや哲学的なことを考えている子たちの思考の受け皿になるのでは、と思いついたのです。
(ついでに言うと「哲学対話もやってるまるさん」的な立ち位置ができたら私にとってもオイシイ話です)
なんなら参加者の親御さんも哲学対話に興味を持ってくれたりしたら嬉しい限りです。
これはもう、やるしかない。と息巻きました。
思い立ったが吉日、ファシリテーターのなり方を調べたところ、
ちょうど私の受けたファシリテーター講座が参加者を募集しているところでした。
募集要項にはファシリテータ経験者対象、とありましたが、ダメ元で未経験でも
やれないかと問い合わせたところ、本格的に会期が始まる前にいくつか課題をこなしたらOKという寛大な答えをいただき、4か月強ほどの期間参加させていただき、今に至るのです。
『おはなしのじかん』宣伝
最後に、私がMENSAで仲良くしていただいている方が主宰をされているおはなしのじかんという子ども哲学の場の宣伝をします。
年長~小2位という主に小学校低学年向けの場で、
直近では3/17(日)と4/14(日)に
新宿にてオフライン開催します。
クローズドメンバーでという記載はありますがそこは関係なく、
参加ご希望の方はサイト内の「お問い合わせ」よりLINEで友達登録してください。
おはなしのじかんにはまるも過去2回スタッフとして参加したことがあり、3/17(日)も現地にスタッフとして参加予定です。
主催の方にはお嬢様がいることからとても子供慣れしており(お嬢様も現地で参加しています)、
参加者の子たちも毎回とてものびのび楽しそうに参加している場です。
哲学対話は午前中開催で、午後からはお昼を挟んで一緒に遊ぶのが恒例の流れになっています。
皆さんとても楽しそうにしている会なので、もし都内にアクセスできて
お子様の年代が近い!という方は検討してみてください。
おわりに
以上、哲学対話についての説明でした。
普段のブログの紹介からは少し逸れましたが、きっとこのブログの読者の方々には好きな方も多くいらっしゃるのではないかな、と思っております。
私は養成講座を受けて初めて知ったのですが、P4C(Philosophy for Children)という主に教師の方がクラスで行う「子どものための哲学対話の場」という言葉もあり、参加者の方には日頃教育の現場にいらっしゃる方も多くいらしたのが印象的でした。
この界隈に限らず、哲学対話の知名度は増えてほしいな~と思っています。
純粋に楽しいですし、手ぶらでも見知らぬ人とでもじっくり考えるような場ができるってすごいことだと思うので。
では、今日はここまでです。
今回もお読みいただきありがとうございました!