「ラベリング迷子」読書会#1 既存の発達障害やギフテッドという既存の概念についてどう感じるか

大人当事者について

はじめに

先日4/20、ついに「ラベリング迷子」を読んだ方同士でお話する場を作ってみようという試みである3回の読書会のうち、初回「既存の発達障害やギフテッドという既存の概念についてどう感じるか」が開催され、無事に終了しました!参加形態はZoomでした。

運営は私まると、オン・オフラインともに今回のような当事者会の主催経験の豊富なとらっちさんでお送りさせていただきました。

ご参加いただいた方、大変ありがとうございました。

もちろんクローズドの場ではあるので全てをお伝えすることはできませんが、どのような話題や論点が上がってきたのか、共有できる範囲でお伝えできればなと思います。

なお、当日の進行としては、以下のようなものになりました。

20:00~20:30 運営からの案内・自己紹介

20:30~21:50 テーマについて話し合う

21:50~22:00 参加者の方への質問・本日の感想

また、文中の「スピーカー枠」「オーディエンス枠」というのはそれぞれ「当時者としてメインで話す方」「Zoomのチャット欄にて発言する方」という意味です。ご了承ください。

ご自身の受けた知能検査(WAIS)の結果に対して、腹落ち感はあったか?

運営からの案内と皆様の自己紹介が済んだ後は早速テーマについて話す尺に移りました。

全体を通じて話し手になっていたのは、スピーカーのお二人(Aさん・Bさんとします)と私まるです。

まずはAさんとBさんのことをこの場全体で知っていきたいという意図もあり、お二人には「ご自身の受けたWAISの結果と、普段の生活の肌感は一致するものでしたか?」という質問をしてみることに。

詳細は伏せますが、お二人ともYESの返答。それぞれの凸凹についてやその解釈、具体例や仕事への落とし込まれ方、思考の癖といった詳細に話が進みます。

元々この場の目的は「当時者同士が、自分の言葉で、フラットに自身の経験や感情について語る場所にすること」。初めての場で緊張されていないかな、と最初の方こそ思っていましたが、お二人がスラスラとご自身についてお話をしてくれたのを見て一番ほっとしたのはまるだったと思います。笑

お二人はどのように自身の考えを整理しているか、という流れになった際は、Aさんはご自身の行うジャーナリング(自身の考えをひたすら紙に書いていき、自問自答することで考えを整理すること)の話を、Bさんは同じく言語化をすることでその言葉の輪郭が形作られ、自身の考えを把握・ジャッジすることに繋がる、という話をしてくださいました。

人間関係をコーディネートする、スピーカーお二方の異なるやりかた

さて、話は次にそれぞれの人間関係の構築の仕方に移りました。

テーマについて話す尺になってから10分ほど経った頃だったでしょうか。AさんとBさんはもちろん初対面同士でしたが、この辺りになってくるとお二人のうち片方の言葉に対してもう片方が直接返す、という流れも既にこなれてきていた印象です。とにかく展開が早かった印象です。なお、ここからAさんの発言を、Bさんの発言をとします。

Bさんはご自身の事を「平和な空気であることをとても重視している」というように表現。自分はその空気を守るために周囲の微妙な表情の変化をとらえたり、必要に応じて話題を変えるなど、こまめに立ち居振る舞いをしている、という話をしてくださいました。職場などよく顔を合わせる人が対象ですが、という前置きの後、この人はこういう時はこういう顔をする、こういう発言をする、というのは学習することができる、と仰っていました。

AさんはBさんの話の後、「自分は空気は読めていないかもと思うことも多い。Bさんほど興味が無いのかもしれない?」と比較。一方で、そもそものコミュニケーションの志向性について、そもそも水の合わない人とはあまり関わらないようにする方だと仰っていました。

AさんとBさんのとる手段や志向性はそれぞれ異なるものだったこともあり、この時のチャット欄は「自分はAさん寄り」「自分はBさんをベースにしつつ」といったお二方の会話内容を補助線としているコメントが目立った印象でした。

Bさんの気の配り方はとても細やかだ、という雰囲気のもと、まるとAさんからBさんに「今話したような内容はやはり努力して身に着けたものなのですか?」という質問。Bさんは「その場の皆で仲良くしたいのは自分の意志なので、努力か自然かでいうと自然。でも、幼少期から今ほどうまかったわけではないので、後天的なものではある」とのことでした。

また、Aさんがコロナ禍の中でZoomで人と話すようになって大勢で話しやすくなった肌感があった一方、Bさんは対面の方が話しやすいという比較が発生したという機会も。

ここで21時を少し過ぎて会話の切りが良くなったため、5分間の休憩をはさみました。

AさんとBさんはお互いを比較し合う中でその違いについて双方の意見を深く聞き、掘り下げ合う姿勢を崩すことなく議論していました。お二人のスタンスは確かに異なるものですが、双方が、というかその場の皆さんが発言をリスペクトして聞いておられた空気がとても印象的でした。

どうして当事者間でしか話せないことがあると思うか?

休憩明けです。オーディエンスの方から、これまでのAさん、Bさんの会話に対する所感が複数届いたため、ラジオの投稿のように読ませていただきました。

さて、その後はまるからAさんとBさんに、「マイノリティ性の話は一般生活の中で誰にでも話せるものではないと思うが、お二人はそれについてどう思うか」というだいぶ抽象的な質問を投げてみました。

大前提、知能検査の結果や諸々の特性、考え方の傾向といった話はセンシティブなものですが、他の観点はあるでしょうか、という聞き方をした記憶です。

Aさんからは日々の会話や生活の中で心にひっかかるものの質や量が違う、という観点を挙げていただきました。また、Aさんが仲良くしてきた友人たちはその「ひっかかり」の質が近い、心の友、という言葉でもって表現をしてくださいました。

Aさんの発言を経て、Bさんからは周りが(Aさん自身は気にしていることを)「本当に気にしていないんだ」ということに気づく、というフェイズがあった、と言及をしてくださいました。

歴史を語る際、権力を握った側(マジョリティ)からの言葉しかないのは不公平だ

ここで、オーディエンスの方のお一人、Cさん(彼女の言葉は赤字です)から、上記のAさん、Bさんの会話を踏まえて「文字を持たない少数民族のことについて、文字を持つ中央政府側の言葉でしか語られない構造に似ていると感じた」というコメントが届きました。

実際のコメントではもう少し具体的なワードも出てきたのですが、まるが個人的に関心のあるテーマだったこともあり、Cさんにも詳細をお話していただくことに。

Cさんは当初「見当違いのことを話していたらすみません」と自信なさげでしたが、全くそんなことはありません。むしろ、当事者が当事者の言葉で話すことを目的とする場でこのような近しいテーマを出してくれることは感謝しかありません。同意に加え、Cさんの発言と近いことを題材にしているyoutubeチャンネルもあるという方面でも場が盛り上がったタイミングとなりました。

おわりに

この辺りで予定終了時刻の22時まであと10分も無い、という時刻になったため、いったん会話の尺を終え、Aさん、Bさん、Cさんに本日の感想を簡単にお聞きし、解散しました。とても頭を使いましたが、本当にあっという間でした。

お三方も、オーディエンス枠の皆様も、各々の言葉を非常に表現豊かに紡いでいただき、全体的にとてもホットな場になりました。

終了間近にAさんが仰っていた「言語化より思考の回転の方が速い」という話もとても興味深く、途中で切る形になってしまったのが惜しかったですが、またどこかでテーマとできれば嬉しいです。

初回はこのような場となり、まさしくこのような場を作りたかった、と感慨深かった回となりました。

また、最後に、私のPCの都合でたまにzoomから抜けてしまってご心配おかけしてしまったのが申し訳ありませんでしたが、この辺りの進行・運営面は引き続きブラッシュアップし、よりよい場を作れればと思っています。

以上、初回の報告でした。ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました!

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