はじめに
いつも読んでくださりありがとうございます!
さて、『MENSA会員の出会った「ラベリング迷子」の女性たち』、ようやくkindleで読めるようになりました!長かった…。。
一区切りついて新たに何に取り組もうと考えている今日この頃です。
さて、今回のブログで取り上げるのはズバリ言葉の重みづけ強すぎ問題。
恐らくは言語凸には割とある話かな?と思います。
IQ値というのは、読者の皆様にはもはや言うまでも無いことかもしれませんが、高ければよいというものではありません。あればあるだけ、頭の他の部分との兼ね合いや世間一般的な受け取り方とのズレをチューニングする必要があるものなのです、ということを書いていきます!
正直、世間的にはマイノリティな感覚ではあるかと思うので、当てはまらない方も多くいらっしゃると思います。後述する具体例もあくまで私まるの体験談ベースなので、こういう人もいるんだなぁという感じでお読みいただければと思います。
言葉の重みづけが強すぎるってどういうこと?
人は生きていると色々な刺激を外界から受けることになります。
視覚。嗅覚。触覚。その他諸々。
その中には、五感とはまた違うものですが、言葉に対する重みづけというものは実際に存在します。
この重みづけが強いと、自分に対して言われたものに対し、言う側の想定した以上に情報というか刺激として受け取ってしまうのです。もちろん、この逆もあるかとは思いますが。
体育会系の先生なんかが口調強く注意してようやく「ちっ、しゃあねえ言うこと聞くか」となるような子と、柔らかく注意をしてもこの世の終わりだといった顔になってしまう子に対して同じ声掛けをしてもうまくいかない、そのような話です。もちろん、誰がいつ言うという変数は無限にありますが。
そして、界隈っ子(大人もかも)は、ある程度このような反応が返ってくるだろうなという予想とは大きく違った受け取り方がデフォルト、ということも大いにあるのでしょう、と当事者や親御さんとお話をしているとよく思わされるのです。
少なくとも、私まるもこの感覚と随分長い間付き合ってきました。というか、得体の知れない感覚だと思っていました。今でも完全に乗りこなしているとは正直言えませんが、最近になってようやく
「え、言葉から受ける印象と実際に触れるもので随分イメージが違うな?」
という出来事に対し、こちらがチューニングをすることができるのだ、という感覚を得た気がします。
重みづけされすぎた具体例
次に、私自身が真に受けてコケた言葉を2つ紹介します。
今までの説明だけですと、特にこの感覚を有していない方などはいまいちピンと来ないことも多いかと思います。具体、どのような言葉にどのように反応するのか。あくまで個人の事例ですが、紹介していきます。
新卒の就活、そして新社会人になると必ず聞くことになるこのフレーズ。今から振り返ると、私はあまりにもこの言葉を重みづけしすぎ、そして面接になかなか通らなかったり入ってからもどうもうまくいかない、といったことになったのだろうな、と思うのです。以下、私のこのフレーズの脳内変換です。
- 誰にでも明確に意味が伝わるような数字で結果を出せ。言い訳は認めない。
- 上手くいかなければ、いかなる場合も徹底的に対策をしろ。
- 会社にとっての良いことが自分にとっても良いことである、という感覚を徹底的に腑に落とせ。
- 上記のような事を、できないのならできるようになるまでやれ。
大体このような感じだった気がします。もう、ご覧ください、書いていて悲しくなるくらい、白黒思考と完璧主義の権化です。これはもう読者の方に笑っていただいて屍として踏み越えていただく他ありません。しかし、悲しいことに無対策だとマジョリティ向けの言葉をこのように解釈してしまいかねないのです。
入社してからもこのような感覚が抜けていなかった私は、色々な感覚がずれていました。新入社員研修の時にあった各部署の説明の際は、ちょっと抜けたような話し方の社員に対しては(本気で仕事してんのかよ)と思ったり、新設されたばかりで諸々整っていない部署の説明を意識高い感じでプレゼンされた時は全力でPDCAの回し方について詰めるような口調で質問したりと、今から思うとかなり警戒されるような新卒しぐさばかりだった記憶です…苦笑
もちろん社風にもよるかと思いますが、このフレーズ、言う側からすると「職場というところにいると、色んな仕事が降ってきます。こういうのって学生時代にはありませんでしたよね。慣れないことも多くて大変とは思いますが、お互い何とかやっていきましょうね」位の温度感の言葉なんですよね。このことに気づいたのは、後輩社員が入ってきてからのことでした。
会社員をやっていれば、そして上司がいれば誰でも言われたことがあるであろう(と信じたい)上記のようなフレーズ。要は同じことしないでね、というこの言葉、かつての私は次のように受け取っていました。
- 今私たちがいるこの場において、あなたのしたことや現時点でのあなたの存在は許容されるものではありません
- あなたがこのまま変わらなければ、あなたは『間違った存在』としてこの場に在り続けることになります
なんというか、伝わりますでしょうか。受け取り方の過剰な感じ。そしてやっぱり白黒な感じ。
ミスが続いたから気を付けてよね、くらいではなく、裁判の判決みたいな感じに取られていた記憶です。
既に過去の場所になっているからこそ「全体像が分からないと直近の業務の改善点もうまいことつかめない頭だっていうのも大きいんだろな~」と思いますが、言われたその場ではやはりここまでの言語化もできていなかったです。自分が白黒思想の持ち主だとも知らなかったですし。
じゃあ、どうすればいいのか
上記2例を見て、「こういう解釈がデフォだと色々大変そうだな」という感じが伝わりましたでしょうか。
少なくとも、私はこれまでの文章を書いていて「これが自分の部下だったらマジで扱い大変だろうな」と思いました。
この項では、私のような言葉の取り方をする人はどうすればやりやすくなるだろうかということについて触れていきます。
まずは、とにもかくにも「自分は白黒思考とか完璧主義なるものの当事者なのだなあ」と自覚をすることです。高IQとか考える力があるとか、そういうのはいったん置いておいて、無対策だと自分自身に向けられた言葉に対してハイコントラストすぎる解釈をしてズレてしまいがちなんだ、と念頭に置くのです。
この自覚の為には、WISCやWAISを受ける場で専門家と話をしたり、そこまでは行かなくとも「どうも実際起きたことと自分の肌感が違ったな」という出来事があった際に自分の言葉で振り返りを行う、ということが不可欠です。物事は、ただ起きただけでは「あ、私完璧主義すぎた」とか「なんか、心の声に従ったらやりすぎちゃったな」みたいな事は分かりづらいケースもあります。
私も、具体例で挙げたような言葉を聞く側の時は言語化できませんでした。ただ、聞くと胃の底の方がズシリと重くなるようなフレーズだな、と思っていました。
紙に書き起こすだけ書き起こして自分の思考の癖に気づけたら、それだけでもめちゃくちゃ前進だな、と思います。
もっとも、この言語化や自覚のフェイズは一人ではできないこともあるのかなと思います。
以前Maiさんのyoutubeに出演させてもらった時にも、中学生の時「漠然と自分の感覚は違うんじゃないか」と思っていた、と語っている箇所がありますが(15:24~)、これはまさしく自分の肌感覚と実際に起きていることの差を感じつつ、それが上手く言葉に落とし込めなかった時のものです。このような場合、「自分は何かズレているのか?」という感覚を安心して相談できる有識者・大人がいると大きく違ったのだろうな、と思います。
もう一つの対策としては、「責任感をもって…」というような世間一般的なフレーズを、自分が言う側だったら同じワードチョイスするだろうか?と考えることです。
自分が言う側の場合、どのような気持ちだろうか、と考えるのです。「こういわれたらどう思うか」ではありません。
「責任感を持って仕事してね」「あなたの業務には改善点があるよ」…。。。
…次はやらないでね、って言いたいだけだよな…。。。
んで、世の中には何回言ってもビクともしないような図太い人もいるわけだから‥
…なんだ、大したこと言ってなかったんじゃん。
ここまで来ると、自分なりの脳内変換というか、翻訳に落とし込める人もいるのではないでしょうか。
もしかすると自分に向けられた言葉でなくとも重みづけがされてしまう人もいるかもしれませんが、自分にかけられた言葉に「のみ」重みづけがされるケースには効果的かもしれません。
おわりに
以上、「言葉から受ける情報量が多すぎると何がうまくいかないのか」という話でした。
私というあくまで一例の感覚ベースの記事となりましたが、少しでも近しい感覚の人にこの記事が届けばいいなあと思います。
本文中では触れませんでしたが、この言葉の重みづけは、やはり医療というよりは同類タイプの人、できれば年上の人あたりから「自分にも同じようなクセがあってさ~w」みたいなノリで話されるのが一番スッと入ってきたりするのかなあ、などと思います。
では、本日はここまでです。お読みいただきありがとうございました!