防げ、大事故。「ハマると一途」な人の対人関係

お子様について

はじめに

いつも読んで下さりありがとうございます。

今回のテーマは白黒思想と人間関係、的なもの。

今年は新しい交友関係を広げたいな、社交的に行きたいな、とかそんな風にお思いの方もいらっしゃるのではないでしょうか。いや、まあ、それどころじゃないってスタートではありましたけどね…。。。

私まる、大変ありがたーいことに最近は個別指導や「居場所」をはじめとするイベント、企画といったお仲間のお仲間によるお仲間同士のつながれる場所をつくる立ち回りをさせていただいております。

その場で感じたこととしては、やはりある程度ソロプレイが好きな人種であっても人とのつながりはやはり欠かせないんだなあということです。なんとも月並みですが、趣味にせよもろもろの特性にせよ「持ってる側」の人同士の繋がりは貴重です。

年が明けるなんてあくまで人間が決めたこと、年末年始なぞ自分にとっては内心どうでもいい…そうお思いの方も、界隈には(言わないだけで)いらっしゃるのではないでしょうか。今回は、そんなニンゲンの作った謎ルールにいまいち重きの置けなあなたにこそ見てほしい、そんな内容です。では!

人間関係は100%敵 or 100%味方ではない

2023年、私にとっては界隈の脳デカ/ギフテッド凸凹キッズならびにその親御さんと沢山お会いする機会のある1年になりました。まずは私と関わってくださった全ての方、本当にお世話になりました。

色んな場に顔を出させていただく中で、なにかと特殊な界隈ということもあり、

こんなにリラックスできる、話が合う場は初めて!

次があったらまた行きたい!

そんな嬉しい言葉を沢山いただくこともできました。大体Maiさんとインターネットのおかげでした。

しかしです。ある程度続く人間関係というのは、そんなに単純なものでしょうか。

相手の良い面だけ見て、終わるものでしょうか。

私は違うと思います。

むしろ、関係性が近く、沢山関わる人こそ、関わる過程で

ここは自分と違うな

これは同意できないな

と思うことが増えていく中で諸々を勘案し、その人との付き合い方をチューニングしていくものなのです。自分と完全に同じ個体が存在しない以上、これはもうそういうものなのです。

界隈の子は、インプットした情報量から得るものが良くも悪くも大きいと思います。それは感受性の鋭さとイコールなのでしょう。そして、気の合う他人というのも決して沢山いるわけでもないでしょうから、お仲間に出会えた時の嬉しさ…もとい重みづけというのも、大きいのではないかなと思うのです。

ともかく、日常生活では出会えないような友達(もしくは年上のお兄さんお姉さん)というのは、影響が大きいです。特に、基本的に周りは敵だみたいな感じになってしまっている子なんかは、もうダーッと走ってったりしてしまうケースも、大いにあると思うんですよね。

ただ、人って本当に一面で語れないですよね。例えば趣味の世界では気が合うけど進路の選び方は全然違うとか、普段そりが合わないけど別の場での相談をしたら的確なアドバイスをくれたとか。

もちろん、こういう感性は誰しも失敗しながら場数を踏んで身に着けるもの。ですが、「自分だけが好きだと思っていたマイナーなコンテンツを好きだと言っている人に初めて出会った時の高揚感」みたいな思い出、ありませんか。彼ら彼女らは、高確率でそのような重みづけがされる世界線に生きているのです。

この記事は少しでもその過程において傷つきの総数が減ってほしいな、と思い書くものであります。

長くなってしまいましたが、以降から具体の内容に入っていきます。

アクセル全開で突っ込むのは、間柄が築けてから

初回でのフィーリングが最高な人ってたまにいますよね。特に、話が1:1で弾んだというよりは自分を受け入れてもらえた!的な何かを感じる人。

今後とも仲良くしたいな。相手のこと、もっと知りたいな。その心意気や尊いものです。

しかしです。相手も全く同じように思っているかどうかは、まだ分からないですよね。というか、1回会って楽しそうにしている相手ってそんなに悪く映らないです。

あなたをもっと知りたい…そんな知的好奇心は、モノや本にあてる分には良きものなのですが、こと生身のヒトにおいてはそうとも限らないんですね。難しいです。恋愛でも「重い」って表現ありますよね。もちろんこの気持ちが無ければ先には進まないのですが、ここではまだステイです。

気にいられた相手は、最初こそ「気に入ってもらえてうれしいなー」となりますが、自分も相手と同じくらいの熱量でもって向き合いたいか?と胸に手を当てると、イエスの時とノーの時があります。

色々な変数があると思います。

片方はいろいろなコミュニティを持っているがもう片方はその人とだけ、とか

単純に体調が悪かったり、とか

仕事など別の場で立て込んでいて疲れている、とか

人はナマモノです。大人でも、相手に原因がなくてもなんとなく会いたくない時はザラにあります。

また、「(他の人は自分を相手にしてくれないけど)この人は自分の話を聞いてくれる!自分の世界観を理解できる!」となると、特定の話題ではなく内なる承認欲求無加工の状態で向けることになるので、相手にとってもわかりやすく重たくなってしまいます。語尾とかもあなたならわかってくれるよね的な圧を帯びたものになるのです。これが許されるのは、お金を払ってカウンセラーを雇っている時か、ほんとに気心知れた相手に対して「これは聞いてほしい尺なんだけど」と前置きをしている時なのです。あと、相手にガッカリ来た時に自分が期待しすぎたんだな、と振り返る余地があると強いですよね。

聞く・話すが不均衡でどちらかが無理している関係性は、基本長続きしません。

気心知れた人間関係の構築には時間が掛かります。「いい人だなあ」と「コイツのこういうとこ」というのを交互に繰り返して、多少のことでは嫌われない仲は作られていくのです。基本はグラデーションなのです。

緊張しやすい性であることを自覚する

初めての人や物に緊張する人とそうでない人っていますよね。

私はだいたい緊張する方です(聞かれてない)。

こういうのは、もう、持って生まれたものなのです。緊張しない人を羨ましく思うことこそあれ、逆ってあんまりないですよね。大事なのは、その場でどうにかしようとしないことだと思います。

その場のことを飲み込むのに時間がかかるとか、見通しが立つのが大事なタイプというのは、別に界隈でなくてもきっと沢山います。そういう人は、自覚した上で、初回は諦めるとか、誰とでも話せるトークを事前に仕込んでおくとか、周囲にそれとなく協力を仰ぐとか対策しているだけなのです。多分…。

これはあるべき論になってしまいますが、今後も継続して参加する場であれば、初回は自分はちょっとカッコ悪いとか、聞き役に徹してしまうなとか、そういうものだと思える…というか、そんな自分を許せるといいですよね。だって、いいかっこみせたくて、うまい返しを探しているからそうなるのです。

そこに「ここでうまくやりたい」という自分の期待値があるからこその緊張だ、その手段としてなら、慣れてから話せばいいや、という御し方ができるようになってから、私自身がだいぶ色々楽になった気がします。たとえ初回での緊張感は抜けず、はたからの見え方はそう変わらなくても、です。

好意は自分のできる範囲で、自分と身内を大事に

他人といろいろやりあう中では、

「アレ、自分はそうは思わないぞ」

「その頼みを聞くのは今ちょっとしんどい」

ということがたまにありますね。もちろん、嫌がらせではなくです。

そういう時、一番簡単なのはそれらをバサッと斬るような態度でしょうか?

いいえ。もちろんそういう人もいるでしょうが、周りの人の笑顔が大事で和を尊いと為す過剰適応タイプの人にとって、一番簡単なのはちょっと無理して「いいよ!」って言うことなのです。なぜなら、自分の顔は見えないけど相手の顔は見えるから。

しかし、相手の言い分を飲むことはすなわち相手の幸せなのでしょうか?それは(短期的にはともかく)、長期的な関係を築く上ではNOです。言い方も考えたうえで、無理な時は無理と言える相手が最終的に残っていきます。

ちょっとムッとした時に「今のはちょっと違うと思う」とか、

行けなくはないけど予定が立て続いた合間の休日に遊びの声を掛けられて「ごめん休みたい」とか、

ちょっと勇気がいる「I don’t」を言うのは簡単ではないので、自分を大事にするぞ!といっても実は結構大変だったりするのです。

でも、自分が言われる側だったらと考えると楽になる人はいると思います。

例えば、これも私の話になりますが、以前女友達と遊びに行ったとき、どうも表情が浮かない感じだったのです。最初は気のせいかな?と思いつつ、少ししてからなにかあった?と聞くと、生理が重いので悪いけど今日は解散したいとのことだったのです。

「言いづらかっただろうにムリさせてごめん、言ってくれてありがとうお大事に」と返した記憶があります。こういう場合、彼女に対して、「なんだよせっかくの人との約束を」なんか思いませんよね。でも、もし仮に彼女がカラ元気してたらきっとそのままだったと思うのです。こういうのは、むしろ言ってくれた方がこちらも長い目で見て気を遣わなくて済むのです。

おわりに

今回挙げたのは、人付き合いのうちのほんの一部という感じでしょう。

2,3回誘って返事が芳しくなかったら諦めるとか、そういう細かいのっていくらでもありますからね。笑

無傷で学ぶことも無いだろうという内容でしたが、界隈のお姉さんとしてふるまうことも増えてきた昨今、こういう内容をそれこそしくじり先生的に伝えることのできる大人になりたいなー、と思います。

それこそ、この人スゴイ!!(おめめキラキラ)と見られるより(本当にこう見ていただく時もありがたいことにあるので…)、この人しょーもないなりにあがいて生きてるんだな。まあ同じ轍は踏まないようにしよ位に思ってもらった方が、なんだかんだ予後が良いと思うのです。

では、今回は以上です。お読みいただきありがとうございました。

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