仕事の選びかた

大人当事者について

はじめに

今回は「仕事」がテーマの記事です。

私は今なんとか会社員をやっていますが、

仕事を決める上でこれはとても大切だったんだろうな、と思っている要素がいくつかあります。

だろうな、というのは、この記事で書く内容ではその通りに生きてはこなかったけど、きっとこうなんだろうな、というベースで書いていることだからです。

「ギフテッド」という概念を頭の片隅においてこのようなことを考えてみると、自分を出して他者と関わる場である仕事は自分自身の特性や志向性そのものだということがわかります。

なんとなく、とか、一般的には、という言葉ではなんでか自分だけどうにもならなかった・・・そんな部分について語っていきたいと思います。

自身の役割が明確な事

どこかで、自身の仕事について「●●商事で働いています」「●●業界です」といった社会的所属先で答えるのがしっくりくる人と、「~~をする人です」と動詞で答えるのが性に合っている人と両方のタイプがいる、といった話を聞いたことがあるような気がします。

私は初めて上記のことに触れた時、断然後者だな、と思いました。

教師であれば「教える人」料理人だったら「作る人」といったものは、なんともシンプルだし、何を目的としているかが明確です(もちろん、教える、作る以外にも業務があることは知ったうえで)。

大学生の時にアルバイトでやっていたカフェのバイトや家庭教師というのは、「店員」「家庭教師」というロール=役割がありました。業務の一連の流れがつかめたうえであれば、その役割を全うするのがこの時間でやること。そこに身を置いている感覚はなんとも心地よく、社会の一員として自分を計上できる安心感がありました。就活で一人内定がなかなか来なかった辛い時期を経験した上だと、なおさら身に染みる感覚です。

一方、いざ社会人になってみると、必ずしも自分のやることは一つではありません。

配属された部署で、その部署の空気をうまいことバケツリレーしていく感じ。明確にコレというものはないのですが、これが上記の例で挙げた「(所属先)で働いています」というものなのだと思いました。

もちろん、今現在このような動き方でお金を稼ぎ、家賃を払い、及ばずながら社会の片隅で正社員として働かせてもらっている・・・会社員という立場の良い面も悪い面も少しずつ見えてきた身ではあるのですが、やはり、時折「やっぱりもっといろいろ明確な方がやりやすいんだよなぁ」と思います。

受けこそしませんが、クラウドワークスの求人とかのタスク単位の求人なんか見ていると、「納品物これ、納期いつ、お金いくら、求められるスキルこちら」という内容。とても分かりやすいです。仕事かくあるべし・・・とうっとりです。

ちなみに、もう4年ほども前ですが、1記事3000字以上で慣用句の意味を説明する記事を10記事作るという案件を完走したことがあります。もちろん時間当たりの時給は微微たるものなのですが、請け負ってからの腹のくくりやゴールを目指して作業をするあの感じは、地に足つけて稼いでいるなぁ・・・というものだった記憶です。

就活の時も、理系の人の自身の専攻がきちんと面接で使える感じはとても羨ましかったです。だからと言って法の道や公認会計士といった専門職を目指すわけでもなかったのですが、このような資格をとっていた友人たちももしかしたら私と同じような気持ちだったのかもしれません。

したっぱではなくコミュニティの一員

私は人に何かを教わるというのが得意ではありません。

あらかじめわからない問題があってあとは先生に聞くだけの状態とか、資格試験の勉強にyoutubeを見たりするとかは問題ないのですが、自分より経験値が上の人から一方的に「教わる」というのが、自分の脳内で考える余地がなく思えて、どうにもしっくりこないのです。

やらされている感があるうちは、なにやってもダメなんです。「学びたい」と能動的に動くときはなんだかんだ頭に入るんですけどねぇ。。だから私は中学受験も大学受験も塾に通わなかったんです。。

しかし、これは、若者として生きる上でかなりディスアドバンテージだと我ながら思います。私にものを教えなければならない立ち位置の人も大変だなと思います。

さて、私のような面倒な頭を持ってしまって、それでも何かを身に着けたい!と思った時、できることとしては完全に独学で身に着けるか、「同じことに関心がある、学ぼうと思っている」という人の集まりにダイブすることの2択だと思います。

私は社会人になってからいくつか資格を取ったのですが、なぜかそれらのうち一定量は「資格に合格することで合格者コミュニティの一員になれる」という色を持ったものなのです。これは学生の時には分からなかった自分の癖で、同じような人もおらずなんでなんだろうなぁとずっと思っていたのですが、「教わるではなく学ぶというスタンスで他者と関わり、インプットアウトプットができる」場を本能的に求めた結果だったのではないかな、と解釈してます。

あと、全く知らない場や人への警戒心が私はかなり強いのですが、「共通の話題がある場」だとそれがかなり薄らぐのも個人的には大きいです。

人と「コト」伝いに関わりを持つことで、次第にそのコミュニティの一員としての自分ができてきて、それが他の方とのご縁やイベント、それかこれからですがお仕事に結びついたりする、というのが自身にとってのスタンダードなんだろうな、とも思っています。

おわりに:就活との比較

「興味が無いことには動けない」「上下関係がニガテ」「警戒心が人一倍」という傾向は、ギフテッドの本にも出てきますし、発達障害の文脈でも出てきます。どれに当てはまるのかはよく分からないです。

ただ、これらの傾向は私の就活の場においては間違いなくマイナスに動きました。

特にこれになりたい!というものが無かった私はとりあえず周りがそうするようにOGOB訪問などして色々な業界の人と話してみたのですが、どこまで行っても得るものはなかったな、と思うのです。

その人がどういう経緯でその会社に勤め、今に至るかという話をいろいろ聞かせてもらいましたが、「ふーん、この人はこうなのだ」以外の感想がどうしても出てこなく、面接でネタとして話す思考回路も動かなかったのです。

他の人がなんとなくやればなんとなく前に進む。だから私もやってみる…というアプローチでは、なにも残らないというのが当事者の気持ちの正直なところです。なんとかして、能動的にならなければいけないのです。

その点、MENSAに入りギフテッド界隈にご縁を持ち、ネット伝いに様々なご縁があり、という流れは、とてもありがたい場なのです。今までの「じゃない方」だった理由の答え合わせが現在進行形で起きているのです。そのうちの一部が、こうして文章になっています。

では、この記事はここまでです。

今回も読んでいただき、ありがとうございました!

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